Ⅱ 天照大御神は男神です!

古代大河小説『邪馬台国ラプソディ(YTR)』の著者の川鍋光慶です。YTRは古文書ホツマツタヱを含む各種の古文書と現地調査を基に解き明かした邪馬台国の真実をベースに作成した古代大河ドラマです。
若日孁
初めてのブログでは、
卑弥呼は、イサナギとイサナミの長女の蛭子姫のことです』
と語りました。
言い換えると、魏志倭人伝と日本神話は重なっているのです。闇に閉ざされた邪馬台国の全ての謎を、貴女(貴方)が解き明かすためのヒントになることは間違いありません。貴女の推理で、古代の闇に光を差し込んで下さいね。

イサナギとイサナミには、ヒルコ姫、アマテル、ツキヨミ、スサノヲの三男一女に恵まれました。そして、お腹に宿ったヒヨルコは流産してしまい、葦の船に乗せられ葬られました。前回は、長女のヒルコ姫の話をしましたので、今回は、『天照大御神は男神だ』という、ホツマツタヱのキャッチフレーズに関する話をします。

 六代目天神のオモタルとカシコネは子供を授からなかったので、二神が逝去すると、五代目高皇産霊の豊受大神(トヨケ)が代理で執政することになりました。しかし、高皇産霊家に従おうとする有力諸侯が少なく、倭国大乱が生じてしまいました。
 この大乱を鎮めるために、豊受大神は、娘のイサコ(イサナギ)と、天神本家に嗣子のないときは天神を継ぐ特典が 与えられていた天神嗣子家のカムロギ(イサナギ)を娶せ、七代目天神とし、倭国大乱を慎めました。
 二人はヒルコ姫を授かりましたが、女神であったため、天神家を嗣ぐ男神を身籠ることをイサナギとイサナミは望みました。そして、待望の男神(天照大御神)が誕生すると、豊受大神の下で君主論を学んだ後に、八代目天神の座に着き、皇室を設けます。
この時、嫡子が途絶えることを防ぐ為に、12人の妃を娶りました。
アマテルの皇室
典侍(すけ)とは上位妃、内侍(うち)とは中位妃、下侍(おしも)とは下位妃のことです。

 有力豪族の力とバランスを保ちながら、その血縁を強化する目的で、北の局に天神嗣子家(イサナギの弟のクラキネ)の娘姉妹と農業大臣のカダ家の娘を、東の局に高皇産霊家(豊受大神の嫡子の神皇産霊)の娘姉妹とツクバハヤマの娘を、南の局に大山祇家(サクラウチ家)の娘姉妹とカスヤ(安曇族?)の娘を、カナサキ家(住吉・宗像・安曇)の娘と従姉妹を娶りました。
ホツマツタヱには『東西南北の局は代わる代わる君に仕えた』とあるので、春夏秋冬、あるいは、月ごとに局が交代し、子作りの儀式の任務についたのかもしれませんね。

 ところが、天照大御神は、瀬織津姫ホノコの美しさに懸想してしまい、有力豪族の天神嗣子家、高皇産霊家、住吉家の反対を押切り、大山祇家の瀬織津姫(ムカツ姫)を中宮(正后)としました。
そして、南の局の典侍に、カナヤマヒコの娘のウリフ姫ナガコを後任にしたため、妃は13人になりました。
瀬織津姫・

これから、天照大御神の皇室は、有力皇族が摂関家の座をめぐり競い合い、江戸城の大奥のように、愛の欲望と怨念の渦に飲み込まれていきます。

 イサナギの弟のクラキネが没すると、天神嗣子家(クラキネ家)のスキャンダルが発覚します。この事件の関係者は5人です。今回は、スキャンダルの話を致しませんが、この裁判の結果、関係者は有罪となり、天神嗣子家の存続が危うくなりました。
 その対策として、天照大御神は、イサナギとクラキネの妹のココリ姫(キクキリ姫、白山姫)と、豊受大神の嫡子のヤソキネ(神皇産霊尊)を娶せました。しかし、その後、クラキネの長女のモチコ姫(天照大御神の北の局)が、クラキネと後妻のサシミメの娘のクラコ姫と、豊受大神の息子のカンサシの子のアメオシヒを娶せ、天神嗣子家を継がせました。

 モチコ姫は天照大御神の長男のアメノホヒを産み、ホヒは皇太子となりました。ところが、瀬織津姫が天照大御神の次男のヲシホミミを出産すると、モチコ姫と妹のハヤコ姫と、スサノヲとの不倫の噂が後宮に広がりました。そして、瀬織津姫に、不倫容疑で、モチコ姫とハヤコ姫姉妹は後宮から追い出され、天穂日(ホヒ)は皇太子の座から落とされました。そして、代わりに、ヲシホミミが皇太子の座に着きました。その時、天照大御神とハヤコ姫の子供の宗像三女神も母と一緒に宇佐に流されることになりました。
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瀬織津姫のやり方に激怒した二姉妹は、宇佐に留まらず、三女神を宇佐に残し、天神嗣子家の本拠地の山陰地方に向かい、その地で大蛇(おろち)の反乱を起こします。
恐らく、天照大御神と大山祇家の瀬織津姫は共謀して、モチコたち姫を後宮から追放し、天神嗣子家の力を削ぐことを画策したのだと考えられます。

 さあ、皆さん、ここで、ホツマツタヱが真実の歴史書であるかどうかを、一緒に検証してみましょう!
 上述の宗像三女神の話は、ホツマツタヱだけに記載されている物語です。古事記や日本書紀には書かれていません。従って、三女神が宇佐で育てられた事が立証できれば、『天照大神は男神だ』というホツマツタヱの内容が正しいことの一つの証拠になります。
宗像三女神とは、タケコ姫( 田心姫神 たごりひめ)、タキコ姫(湍津姫神 たぎつひめ)、タナコ姫(市杵島姫神 いちきしまひめ)のことです。

この宗像三女神の足跡を追って、サラ・シャンティの清水正博氏とイラストレータの瑠璃さんと一緒に、宇佐市安心院(あじむ)町にある三女神社に詣でました。
瑠璃さんが、『邪馬台国ラプソディ 聖地巡礼 5 三女神社』のブログを掲載していますので、ご参照願います。私も、説明のために、瑠璃さんの写真を使わせて頂きます。
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1959.html

宇佐市安心院町に、ちゃんと『三女神社』がありましたよ。
また、同じ宇佐市の御許山の9合目あたりに鎮座する宇佐神宮の元宮の大元神社に、宗像三女神が降臨したという伝承があるので、これも、ホツマツタヱと整合がとれます。
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三女神が私たちを歓迎しています、光の中に、いくつかの影が写っています。見難いですが、下部の中央と右の柱の間に立っている髪の長い女の子の顔が見えます。

それよりも吃驚するのは、三女神社のお堂の壁に映る白い光です。
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沢山の女の子たちが、楽しげに無邪気に遊んでいる光景が見えますよね。神秘的な瑠璃さんの写真にウットリしてしまいます。
神聖で霊験あらたかな姿に痺れてしまいますね。

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磐座も沢山ありますよ。宗像三女神は、史跡的にも心霊的にも、やはり、ここに住んでいたと感じます。これを信じるかどうかは、皆様方の六感にお任せします。

これからも、邪馬台国の謎を解きながら、ホツマツタヱが真実の歴史書であることを、伝えて参ります。


邪馬台国ラプソディ著者
川鍋 光慶
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