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XX イサナギのルーツ

 今回のブログでは、イサナギの生い立ちの話をします。
ホツマツタエをベースに解析していきますが、記紀や史実、考古学も参考にしながら推理を進めます。

1 ご両尊

1、女性天皇

 暗黒の闇に閉ざされた歴史を解明するのに、ホツマツタエはとても役立ちますが、ホツマツタエにも書かれていないことが沢山あります。また、古代の世界は現代の常識や儒教の考え方が通用しなので、当時の自然環境や慣行・仕来りを熟知し、考古学、歴史学に精通していていないと、致命的な錯覚をおこしてしまします。
こうした知識がないと、縄文時代に乗馬が普及しているとか、天照大御神が伊勢神宮に都をおいていた、といった夢物語を語ることになってしまいます。

 天神七世に関しては、先ずは、登場する神々の性別を特定する必要があります。儒教的な男尊女卑の考えから、名前に姫が付かない場合には男神とする傾向があります。
しかし、古代には女性の天皇が存在しますので、紹介しますね。

33代 推古天皇
2 推古天皇

35代 皇極天皇(37代 斉明天皇)
3 皇極天皇 斉明天皇

41代 持統天皇
5 持統天皇

42代 元明天皇
6 元明天皇

44代 元正天皇
7 元正天皇

46代 孝謙天皇(48代 称徳天皇)
8 孝謙天皇 称徳天皇

109代 明正天皇
117代 御桜町天皇と、8人(10代)が女性天皇でした。
 ところで、天皇を一度引退してから、再び天皇に返り咲くことを重祚(じゅうそ)といいますが、重祚をした天皇は、35代皇極天皇(37代斉明天皇)と46代孝謙天皇(48代称徳天皇)の二人だけですが、二人とも女性天皇でした。

 また、卑弥呼も神功皇后、若日孁(わかひるめ、ヒルコ)姫も女性ですので、女性のパワーは偉大です。神功皇后は天皇ではありませんが、男性天皇を上回る軍功を残している逞しい皇后です。

【神功皇后】
9 神功皇后



2、イサナギの話
1) イサナギ 天神に就任

 それでは、現在の天皇家の男系血流の始祖であるイサナギのルーツを調べてみましょう。
ホツマツタエによると、日本に渡来した天神三代はトヨクンヌで、四代はウビチニ・スビチ五代はツノクヰ・イククイです。
 そして、六代はオモタル・カシコネですが、オモタルとカシコネには嫡子がいなかったため、世が乱れました

 そこで、高皇産霊家の豊受大神(とよけ)が天神代行になりましたが、天神家の純粋な血を引いていませんでしたので、人民を従わせ、大乱を鎮めることができませんでした

 天神代行の豊受大神がそっと呟きます。
「天神一族は増加したが、法に則り、天神になる資格があるものがいなくなってしまった。どうしたら良いものか?」
熟慮の末に選んだ二人が、イサナギとイサナミでした。
「二人を娶せ、天神七代を継がせよう」


10 イサナギ ト除け


 イサコ姫(イサナミ)は、(摂関家の)豊受大神の娘なので、豊受大神がイサコ姫を后に推すのは道理に適っています。
しかし何故、イサナギが次代の天神として、選ばれたのでしょう?
この当時の天神になるための条件は、夫婦の両親とも生粋の天神家の血流か、母が摂関家の出身でした。
ところが、イサナギが天神家の血脈である根拠がどこにもありませんし、イサナギの母が誰だかも分かりません。

 そこで、記紀やホツマツタエ、その他の史書等を調べながら、大胆な推測をしていきたいと思います。
この推測に至る確かな物証はなく、私独自の偏見に基づくものですので、信憑性は疑わしいですが、このような推測に至った過程を知っていただければ、嬉しいです。


2) 参考文章

 先ずは、記紀やホツマツタエ等から関連する文章を抜き出してみます。

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(1)【日本書紀】

【日本書紀 卷第一 第二段 一書第二 読み下し】
 一書に曰く、國常立尊(くにのとこたちのみこと)天鏡尊(あまのかがみのみこと)を生む。 天鏡尊(あまのかがみのみこと)天萬尊(あまよろずのみこと)を生む。 天萬尊(あまよろずのみこと)沫蕩尊(あわなぎのみこと)を生む。 沫蕩尊(あわなぎのみこと)伊奘諾尊(いざなぎのみこと)を生む

 『沫蕩』、此を阿(あ)和(わ)那(な)伎(ぎ)と云う。

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(2)【ホツマツタエ】

『東のトコタチや その御子は アメカガミ尊 ツクシ治す』2文
『ウヒチニ儲く この御子は アメヨロツ尊 ソアサ治し アワ・サク生めば』2文


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(3)【宗像大社伝承(関裕二氏:歴史評論家)】

『ムナカタ(宗像)の子はスミヨシ(住吉)で、その子がウサ(宇佐)』

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(4)【その他の情報】

『安曇族は海人で大陸貿易を仕切っていましたが、宗像族は安曇族と共に大陸貿易に携わるようになり、有力な海人になりました。その後、住吉族が、安曇族と宗像族を束ねるようになりました』

【志賀海神社(しかうみじんじゃ) 安曇族を祭る】
12 志賀海神社

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 それでは、上記の文章の条件を満足させるような推測を考えていきます。


3) イサナギとイサナミの婚姻

 イサナギ(タカヒト)とイサナミ(イサコ)と結婚して、イサ川の畔にイサ宮を建立すると、タカヒトはイサナギ、イサコはイサナミと名をあらためました。

13 ヒルコ誕生


 イサナミの斎名はイサコでので、イサ川とイサ宮の名はイサコの名を付けたものと思われます。
『かかあ殿下』の皇室であったことが良く分かります。
もし、イサナギが亭主関白でしたら、タカ川、タカ宮と名付けられ、名前も『イサナギ』『イサナミ』でなく、『タカサギ』『タカナミ』だったかもしれません。


4) 玉津島神社

 話は変わりますが、イサナギとイサナミの長子はヒルコ姫で、若日孁となります。
長じると、ソサで蝗(いなご)が大量派生し、稲を食いつぶそうとしたため、瀬織津姫と共に虫払いの儀式を執り行い、蝗を追っ払いました
それを感謝した農民から、ヒルコ姫は玉津宮を、瀬織津姫日の前宮(国懸宮)を建立して貰いました

 そこで、和歌山県和歌山市和歌浦の玉津島神社に参拝しましたが、宮司さんは玉津島神社の建立のいわれをご存知なかったので、ホツマツタエを紹介しました。
この神社には、結婚式場が併設されており、ヒルコ姫と思兼のラブストーリーの余韻が現在でも息づいていることが分かります。
なお、この神社の祭神は『稚日女(わかひるめ)命』で、和歌を誇りとしている神社です。

14 玉津島神社


5) 幣立神宮

 ホツマツタエによると、イサナギ(伊耶那岐)の幼名は神漏岐(かみろき)で、斎名はタカヒトといいますが、『神漏岐』の名は吃驚仰天ものです。

 イサナギの幼名は神漏岐(カミロキ)ですが、実は、日本最古の神社といわれる熊本県にある幣立神宮の祭神が、神漏岐命と神漏美命なのです。

 幣立神宮は、聖地で、イサナギに縁がある宮だけでなく、天神10代のニニキネの天孫降臨のルートでもあります。
イサナギとニニキネの関連性は、神社で神主さんがブツブツ呟く『大祝詞(大払式)』に書かれています。

そして、この神宮は、【神社】でなく、【神宮】ですので、格式が高いのです。
なお、春木伸哉宮司によると、これは弥生時代の話だとのことでした。

【幣立神宮】
15幣立神宮


6) 大祓式

また、神主さんが唱える【大祓式】(おおはらえしき)にも、神漏岐の名が登場します。

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【大祝詞】

高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐 神漏美命以知氐
八百萬神等乎神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氐
我賀皇御孫命波 豐葦原乃水穗國乎安國登平介久
知食世登事依奉里伎


【大祝詞の解読】
高天原(たかまのはら ※天上の神々の国)にいらっしゃる皇祖神
(すめみおやのかみ ※親神様)の神漏岐 神漏美命の御命令によって、
八百万(数多く)のこうした神々による会議・相談の結果、
皇御孫命(すめみまのみこと=瓊々岐命 ににぎのみこと)は
豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本国)を平和で
穏やかな国として統治しなさい、とお任せになった。


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7) イサナギのプロフィール

 イサナギは、ネの国を治めたアワナギの長男で、ココリ(白山)姫とクラキネが兄弟です。

【シラヤマ姫】
16 白山姫

そして、領土はアワ、タガですが、アワ・多賀の候補地は幾つかあります。

イサナギ・神漏岐の名は、大祝詞、古事記・日本書紀、ホツマツタエに記されていますので、架空の神ではなく、弥生時代に実在した人物だと考えてもよさそうです。



3、イサナミの祖先

1) イサナギ家の始祖

日本書紀・ホツマツタエに、イサナギの始祖は國常立尊と書かれているので、イサナギは黄帝の子孫だと考えられます。

17 黄帝


2) イサナギの系図

 イサナギの親は沫蕩(あわなぎ)、沫蕩の親は天萬(あめよろつ)です。
そして、天萬の実の親が天鏡(あまのかがみ)なのですが、ウヒチニの養子になった
ようです。

 沫蕩はイサナギ同様、名前の最後が『ナギ』ですので、男性だと考えられますが、天鏡は名前の最後が『ミ』ですので、女性だと考えられます。

イサナギに関する参考文章を下記に添付します。

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【ホツマツタエ】

『アワナギは 北の白山麓 チタルまで 法も通れば 生む御子の 斎名タカヒト カミロギや』2文


【宗像 白山】
18 白山


『ウヒチニ儲く この御子は アメヨロツ尊 ソアサ治し アワ・サク生めば』2文

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【日本書紀】

天鏡尊(あまのかがみのみこと)天萬尊(あまよろずのみこと)を生む。

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3) かなり大胆な推測

 それでは、ここでかなり大胆な推理を展開してみようと思います。
以下に述べることは、根拠が無い妄想ですので、信じないで、聞き流して下さい。

① 日本に渡来した葉木国(はこくに)は、奴国(倭国)の兄弟国、あるいは、同盟国の国王で、葉木国のホームタウンは、福岡市、春日市、朝倉市近辺といった福岡県西部でした。
なお、奴国は後漢の洪武帝から金印を授かり、とても栄えていたので、葉木国は奴国(倭国)の政治に関与していたと推測されます。
『奴国の丘歴史資料館』は春日市にあります。

19 春日市ゆるキャラ


葉木国(はぐくに)の子の東の常立 (きのとこたち)が、福岡北部から日高見(大分県日田市)に移住し、高皇産霊家を興しました

 ところで、『高皇産霊』ですが、私は、この一族は摂関家だと考えています。何故なら』、『皇産』の文字は『天皇を産む』一族の意味だと思われるからです。

 なお、日田市の伊藤(歴史)塾の佐々木さんによると、『浮葉市や朝倉市からみて、東方の日田の方角から日が昇るので、【日高見】と名付けられた』とのことでした。
日高見は日田より東方の領域で、豊前南部から、豊後に渡る地域だと考えています。

【小迫辻原遺跡(おざこつじばるいせき):日本最古の豪族居館跡】
20 小迫辻原遺跡


③ 縄文人と弥生人の融合を図るため、東の常立の王女の天鏡(あまのかがみ)は、縄文人に嫁ぎ、天萬(あめよろつ)を生みました。そのため、縄文人の男系の血脈がイサナギに引き継がれました
それでは、天鏡の旦那さんって、誰でしょう?
残念ながら、記録に残されておらず、この答えは分かりません。

 奴国や吉野ケ里、菜畑遺跡には水田があるので、為政者は渡来人であったはずです。
そうすると、狗奴国等の邪馬台国と衝突していた国々との同盟を結ぶための政略結婚だったことが考えられます。


④ 天神4代のウビチニ・スビチは、天神家の血脈を残すために、二人の皇女と天萬(あめよろつ)を娶せ、天萬(あめよろつ)を婿養子にしました。これは、天神本家の血脈が途絶えたときの対策でした。
摂関家からの養子だとしても、天神本家の血を引いていなければ、嗣子の資格を得ることはできなかったと考え、婿養子説をとりました。


⑤ 天萬の子どもの沫蕩(あわなぎ)は、安曇族の王女を娶ったと考えられます。
この婚姻により、天神家、高皇産霊家、安曇族の血流が合流し、宗像族が誕生したのではないでしょうか?

 そして、オモタル・カシコネが嫡子に恵まれず、天神本家の血流が途絶えてしまったとき、ウビチニとスビチの娘の血を引くイサナギに天神の後継者としての白羽の矢がたったのでしょう。

 なお、ヘブライ語で、『ムナカタ』は、『約束された花婿』の意味です。また、宗像族の山城は白山(宗像市)にありますので、白山姫は白山近辺に居住したのでしょう。

【宗像大社】
21 宗像大社


⑥ イサナギとイサナミの結婚した時の歳から判断して、イサナギは初婚ではなかったと考えられます。イサナギが残した子孫(イサナミの継子)の一族が、摂関家となっていったと考えられます。

 天照大御神に時代の摂関家は、イサナギの弟のクラキネ家(北の局)、イサナミの実家の高皇産霊家(東の局)、大山祇家(南の局)、住吉・宗像家(西の局)で、天照大御神は、各摂関家から従兄妹を二人ずつ妃にしました
従兄妹ですので、この時代の婚姻は、近親相姦ではありませんでした。


⑦ イサナギとイサナミが結婚すると、天神6代のオモタル・カシコネの国づくり(北九州・山陰地方)を引き継ぎ、国東半島・四国・和歌山・宮崎北部を国土に加えていきました。この時代の大和は未開の地でした。また、熊本南部や鹿児島には、天神家に歯向かう反対勢力が残されていました。


⑧ 上述の邪推は物証がないので、間違えていて当然です。ただ、史実との整合性は一応とっていますので、このような視点で歴史を検証してみると、違った世界が見えてくると思います。


 今回のブログは、推測が多かったので、文章はいつもより短くしました。
次回は、この続きの話をします。


『邪馬台国ラプソディ』の著者
川鍋 光慶

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