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XXI 日前宮と邪馬台国の領土

 前回は、若日孁の玉津島神社の話をしましたが、今回は瀬織津姫の日前宮の話と、天神家の領土の話をします。

  今回語る仮説をベースに、キュートなラブ・ストーリーを『邪馬台国ラプソディ〈第二巻〉』で展開しますので、何時になるか分かりませんが、発刊を楽しみに待っていて下さいね。

1 虫払い


1、 日の前の宮

 和歌山県和歌山市秋月に『日前宮(にちぜんぐう)』があります。
日前宮の境内には、日前神宮(ひのくまじんぐう)國懸神宮(くにかかりじんぐう)の2つの本社があり、同列で配置されている神社です。

2 2つの神宮

 朝廷が『神様の階級』を付けなかった『神宮』は3つあって、1つは『伊勢神宮』ですが、あと2つの『神宮』がこちらの『日前神宮』と『國懸神宮』なのです。そのくらい、偉い神様が祀られている神宮なのです。

 実は、日前宮は家内の実家から、徒歩で10分の距離にあるます。
何度も初詣に行っていましたが、ホツマツタヱを読む前は、このお宮の祭神が誰なのか、また、創建の由緒を知りませんでした。
そこで、何時かこの宮の由緒を調べようと思ったとき、「今でしょう!」と言う、神の声が聞こえてきました。


1)  『日前』とは、どなたのことなのでしょうか?

 ホツマツタヱに、「日前宮」と同じ名の『アヒノマエミヤ(天日の前 宮)』が登場します。どうやら、ホツマツタヱの『アヒノマエミヤ』と は『日前宮』のようですね。

 また、ホツマツタヱを読み解くと、『日前』とは、『天照大御神の中宮』のことで、具体的には『瀬織津姫』を指すようです。
それでは、その仮定が正しいかどうかを検証してみましょう。

 『日前』の『日』は、『天照大御神』であることは、誰も依存はないと思います。

 それでは、『前』とは、何のことでしょうか?
この答えは、『前』は『中宮』です。
つまり、『日前』とは、『天照大御神の中宮(皇后)』
のことです。
ホツマツタヱに、この解説が書かれているので、その内容を検証してみましょう。

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【ホツマツタヱ 2綾 (天七代、床御酒の綾)】
キツヨノカミハ
オオトノチトト オオトマエナリ
ツノクヰハ オオトノ二  ヰテ
イククイオ オオトマエ アイミ
ツマトナス
カレ(故に) オワトノゾ
メハ マエト 
ヤモ(大変長い期間)ツツキ(続く)マデ


3 日前宮の結婚式


〈翻訳〉
天神五代は、オオトノチ(大殿内)と、オオトノマエ(大門前)です。
ツノクヰは大殿にいて、大殿の前で、イククイを招き見合をして、妻としました。
この出来事があってから、天神は『殿』と呼ばれ、中宮『前』と、末永く呼ぶようになりました。
(それで、ツノクヰはオオトノチ(大殿内)と、イククイはオオトノマエ(大門前)と、呼ばれます)


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2)  『日前』は、『瀬織津姫』のことか?

 上述の文章が正しいとすると、『日前』とは、『天照大御神』の『中宮』のことですが、ホツマツタヱにおいて、天照大御神の中宮は『瀬織津姫』とされています。

 しかし、肝心な『日前宮』の宮司さんは、「『日前大神』とは『天照大御神』のことで、『瀬織津姫』だという話は聞いたことがない。
当社としては、これまで通りの『日前大神』は『天照大御神』だという由緒を、これからも守り続けていく」と仰っていました。
持統天皇が歴史の舞台(記紀や神社の由緒書)から、『瀬織津姫』を徹底的に抹殺した歴史が、深く刻み込まれているようです。

4 日前宮の由緒

 それにしても、ホツマツタヱが再発見されてから50年以上経つのに、ホツマツタヱ関係者の方々が、日前宮の宮司さんと一度も意見交換をしたことがないとのことは、正直、ガッカリしました。
これでは、何時まで立っても、ホツマツタヱは『偽書』の汚名を返上できそうにないですね。

 こんな愚痴をこぼしていても致し方ないので、先ずは、ホツマツタヱに書かれている内容を固めて、それから情報を発信していきましょう。
それでは、『日前』が『瀬織津姫』であるホツマツタヱの文章を抜き出してみます。


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【11綾 (三種の神宝を譲り受ける綾)】
キミ(君)は アマテル(天照大御神)  ヨツギ(世継ぎ)のミコ(御子)
ハハ(母)は ヒノマエ(日前)むかつヒメ(姫) イナム(諱)ほのご の


〈瀬織津姫 : 瑠璃の星イラスト〉
5 瀬織津姫


〈翻訳〉
天神9代のヲシホミミは、天照大御神の世継ぎの御子です。
ヲシホミミの母は、天照大御神の中宮のムカツ姫(瀬織津姫)で、諱をホノゴといいます。


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 ご覧の通り、ヲシホミミの母の瀬織津姫(ムカツ姫)を、『ヒノマエ(日前)』と呼んでいます



3)  『日前宮』と『アヒノマエミヤ(天日の前 宮)』は同じ神宮か?

 ホツマツタヱの記述が正しいとすると、『日前宮』と『アヒノマエミヤ(天日の前 宮)』は同じ神宮である可能性が高いです。
この仮設を、ホツマツタヱの記述を基に検証してみます。

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【1綾 「東西」の名と穂虫去る綾】
クリカエシ ミモムソウタヒ ドヨマセバ
ムシトビサリテ ニシノウミ ザラリムシサリ
エ(厄災)オハラヒ ヤハリワカヤギ ヨミカエル
ソロリミノリテ ヌバタマノ ヨノカテオウル オンタカラ
ヨロコビカエス キシヰクニ アヒノマエミヤ
タマツミヤ ツクレバヤスム
アヒミヤオ クニカケトナス


〈虫払の祭祀:若日孁と瀬織津姫 : 瑠璃の星イラスト〉
1 虫払い

〈翻訳〉
繰り返して、三百六十回歌って 騒ぐと、
虫は飛び去って 西の海に ことごとく去っていった。
虫の害を払ったので、稲は以前のように生き生きと 甦った。
稲がたくさん実り、真っ暗な夜のような毎日であったが、糧を得ることができた
民は喜び、お礼に キシヰの国の人々は 天日の前宮と
タマツ宮を造ったので、ムカツ姫とワカ姫はそれぞれの宮に滞在した。
〈後にムカツ姫(瀬織津姫)はイサワの宮にお帰りになられたので、〉
ムカツ姫は、アヒ宮(天日の前宮)を クニカケ(国衛 こくが)として残し、ムカツ姫の御影を世々に伝えました。


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 若日孁(ヒルコ姫)と瀬織津姫は蝗(いなご)退治をしたので、キシヰの民は喜び、若日孁のためにタマツ宮を、瀬織津姫のために日前宮を、建造し贈呈しました。その後、ムカツ姫が天照大御神の元に戻ると、日前宮を国懸(国衙)として残しました。
日前宮には、日前(ひのくま)宮と國懸(くにかかり)神宮がありますが、ホツマツタヱは、その由緒を正確に伝えている

ようで、ぴったし カンカンです。



 瀬織津姫と若日孁の存在を歴史から排除するために、持統天皇は、瀬織津姫を祀っていた神社の扁額や由緒書きを全て他の神様の名前に書き換え、瀬織津姫の名を封印しました。
その後も、宮廷は、瀬織津姫の封印を解こうとする者を厳罰に処しました。


〈瀬織津姫(天照大御神の荒魂)を廣田神社に召還した神功皇后〉
6 神功皇后

 それで、神社から『瀬織津姫』の名が一掃されたのですが、神社で唱える『大祝詞(大祓詞)』には、瀬織津姫の名が残されてしまいました

 兵庫県西宮の廣田神社(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)、宮崎県延岡の御凌神社、大分県中津の闇無浜神社、宮崎県西都の速川神社等は、近年になり、再び、瀬織津姫の名が扁額や由緒書に戻ってきました。
しかし、日前宮は『神社』ではなく『神宮』で、旧官幣大社なので、今でも持統天皇の基本方針に遵っているのだと考えられます。


 尚、虫払の和歌を、『カタカムナ』で、言霊を紐解くと、とても意味深いものになりますので、カタカムナの達人の方は一度試して下さい。
カタカムナの言霊に興味がある方は、カタカムナの大家の吉野信子先生の本を読むと参考になります。カタカムナの言霊分析はとても優れたものですし、吉野信子先生は国際的センスをお持ちなので、アルファベット・バージョンがあれば、世界的なブームになるかもしれません。


〈日前宮薪能〉
7 日前宮薪能




4)  日前宮の神様たち

 日前宮を駆け足で、回ってみますね!(写真は日前宮の公式サイトのものです)


9 日前神宮 扁額

祭神:日前大神(ひのくまのおおかみ)
相殿:思兼命(おもいかねのみこと)、石凝姥命(いしこりどめのみこと)


【祭神は瀬織津姫ですが、相殿は【天岩戸】の雑技団メンバーです。
ホツマツタヱによると、瀬織津姫がスサノヲのセックス・スキャンダルの噂を広め、スサノヲを憤慨させたために、天照大御神がスサノヲの怒気を恐れ、天岩戸に隠れてしまいました。その後、天岩戸雑技団により、天の岩戸が開かれると、天照大御神と瀬織津姫はスサノヲの皇族権を剥奪し、都から追放してしまいました。
つまりスサノヲと瀬織津姫は犬猿の仲で、天照大御神と天岩戸雑技団は瀬織津姫の味方だといえます】
10 日前神宮


11 国懸神宮扁額

祭神:國懸大神(くにかかすのおおかみ)
相殿:玉祖命(たまおやのみこと)、明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)、
鈿女命(うづめのみこと)


【相殿は、ここでも、【天岩戸】の雑技団メンバーで構成されており、サルタヒコを誑かしたダンサーの細女(ウズメ)命も含まれています】
12 国懸神宮


13 天道根神社扁額

祭神:天道根命(あめのみちねのみこと)

【高皇産霊家の末裔で、ニニキネの兄の櫛玉火明命(クシタマ ホノアカリ)の大和への天孫降臨に随行しました】
14 天道根神社


15 市戎神社扁額

祭神:蛭子神(ひるこのかみ)

【ワカ姫(若日孁)様、虫払い有難う!】
16 市戎神社


17 松尾神社扁額

祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)、中津島姫命(なかつしまひめのみこと)

【瀬織津姫のお父さん(大山祇サクラウチ)と、宗像三女神の湍津姫(タキコ姫)神ですね!タキコ姫は大山祇家に嫁ぎました】
18 松尾神社



5) 和歌山市の神社

 和歌山市には、瀬織津姫の日前宮、若日孁(ヒルコ姫)の玉津島神社、そしてスサノヲの長男の大屋毘古神の伊太祁曽(いたきそ)神社、そして、神武天皇の兄の彦五瀬命を祀る竈山(かまやま)神社があります。

 ホツマツタヱでは、和歌山はソサ、キシイ、和歌の国と呼んだ場所で、若日孁や瀬織津姫の痕跡が残されています
玉津島神社と日前宮を比べると、日前宮の方が立派なのは、歴史の闇に消えたとはいえ、瀬織津姫は天照大御神の中宮で、ヲシホミミのご母堂様だったからでしょう。

 また、この地に、イサナギとイサナミが宮を造り、桜の季節にスサノヲが生まれたとされています。
スサノヲは八重垣の臣を退官した後に、ネの国の頭首として朝鮮半島に渡り、林業を興し、その技術を日本に持ち帰りましたが、日本で率先して林業を興したのが、スサノヲの長男の大屋毘古神でした。
大屋毘古神は、父スサノヲの誕生の地に眠っています。

〈大屋毘古神を祀る伊太祁曽神社:大屋毘古神はオオナムチ(大国主)の命を救い、また植林をして日本に林業を栄えさせた神様です〉
19 伊太祁曽神社


そして、神武天皇の東征の際に戦で命を落とした彦五瀬命(神武天皇の兄)を祀るのが竈山(かまやま)神社です。
20 伊太祁曽神社





2、 天神國の領土

1) 邪馬台国の在り処

  『魏志倭人伝』に、帯方郡(西暦204~313年に古代中国によって、ソウル近郊に置かれた軍事・政治・経済の地方拠点〈植民地?〉)から、邪馬台国までの道順が書かれているのですが、矛盾と思える個所や読解方法が人により異なるので、邪馬台国は畿内だとか、九州だとか、沖縄だ等の説があり、今に至るまで場所の比定の決着がつかずにいます

21 魏志倭人伝の

 しかし、マクロな視点から見ると、これは愚かな論議のように思えます。
何故なら、日本を代表する国ならば、国土はかなり広いはずなのですが、一都市を特定しようとしているみたいに見えます
また、邪馬台国の首都の遷都は、頻繁に行われたはずですので、首都の場所の比定はあまり大きな意味を持ちません

 それでも、『邪馬台国ラプソディ〈第二巻〉』に、それぞれの時期の首都の位置を特定する予定です。『目の上のたん瘤』が気になる方の為に、『第二巻』を発刊できるよう、一生懸命頑張りますので、ご協力を宜しくお願い申し上げます。



2) 天神家の領域

 私は、天神国と邪馬台国を同一視しているのですが、このような見方をすると、邪馬台国の場所や広さは、ホツマツタヱの記述から推測できます。

天神6代のオモタル・カシコネが国造りを始め、それを引き継いだイサナギとイサナミが国土を拡大しました。

〈イサナギとイサナミも国創り  瑠璃の星イラスト〉
22 ご両尊 国造り


 そして、天孫のクシタマ・ホノアカリ(兄)とニニキネ(弟)の時代に、大和と南九州を従わせるようになり、天武天皇の東征により、大和政権と九州政権が合体し、邪馬台国から大和朝廷へと変遷しました。
その後、ヤマトタケルが関東地方の方まで、国土を広げていきます。これが、天神家(邪馬台国?)の領域に関する私の推理です。



〈クシタマ・ホノアカリ(兄:大和政権)、ニニキネ(弟:九州政権)瑠璃の星イラスト)
23 ニニキネ ホノアカリ

 それでは、今回は、天神6代のオモタルとカシコネの時代の領土の話をし、次回のブログで、天神7代のイサナギとイサナミの時代の領土を検証してみましょう。



3)オモタル・カシコネの侵略

 それでは、ホツマツタヱの天神6代のオモタルとカシコネの話を始めます。

**********

【2綾 天七代、床御酒の綾】
ムヨノツギ オモタルノカミ カシコネト ヤモオメクリテ
タミオタス ヲウミアツミノ ナカハシラ
ヒカシハヤマト ヒタカミモ 
ニシハツキスミ アシハラモ
ミナミアワソサ
キタハネノ ヤマトホソホコ チタルクニ オヨベドモヨホ
ツギコナク
ミチオトロヒテ ワイタナメ


〈翻訳〉
六代目オモタル尊は妻のカシコネ尊と多くの地を巡って
民を治め、アワウミのアツミを国の中心として定めた。
東はヤマトやヒタカミ、
西はツキスミ、アシハラも、
南はアワ、ソサ、
北はネのシラヤマモト、ホソホコ、チタル国まで治政が及んだが、
長い年月オモタル尊には世継ぎもなく、
生粋の天神家の血が途絶えた為、秩序がなくなった。


**********


 この文章から、オモタルとカシコネの時代の天神家(邪馬台国)の領土を推定してみましょう。


(1) オモタルが置いた首都は何処か?

 『アワウミのアツミ』とは、『淡海の安曇』だと判断しています。
『淡海』とは、縄文海進の名残で水面が上昇しており、汽水(塩水と淡水のミックス)の入江が陸地の奥まで達している場所をいいます。
『アツミ』とは『安曇族』の本拠地ですので、弥生文化が芽生えた九州北岸の地域のことで、西は糸島、中央が福岡市東区粕屋近辺、東は直方市近辺までの範囲と考えられます。弥生時代には、直方市まで入江〈遠賀川〉が来ていました。
志賀海神社は安曇族を祀っている神社ですが、鹿がトーテム〈動物神〉になっているので、中国の春秋時代の越のトーテムと重なります。

〈縄文海進:粕屋/内陸のグレイの部分が汽水ゾーンです〉
24 福岡 縄文海進


〈縄文海進 : 直方 遠賀川〉
25 直方 縄文海進


〈遠賀川の川床にある弥生時代の立屋敷(たてやしき)遺跡(水巻町)〉
26 遠賀川遺跡



(2) 東は『ヤマト』や『ヒタカミ』

 『ヤマト』とは、大分県の別府湾近辺のことです。そして、『日高見』は豊前南部と豊後の地域で、その中心は日田市です。

この答えを導き出したのは、古田武彦氏で、『古代史の宝庫』(朝日新聞社)1977年の中の『九州 記紀説話と倭の五王の諸問題 1』の中で説明しています。
古田武彦氏、ヤマトとは?


『ヤマト』とは、大日本豊秋津洲(おおやまととよあきつしま)のことなので、『豊秋津』が『ヤマト』のことです。

 古田武彦氏の論旨の要約を以下に添付しました。
【『日本書紀』には、大日本豊秋津洲が中心として書かれている。ところが、これが中心であるにしては、ちょっとおかしいですね。分布図をつくってみれば、おかしいということにすぐ気がつきます。なぜかというと、近畿を中心とした場合には、近畿から西ばかりあって、東がさっぱりない。


27 国生み神話

 別府湾の入り口に安岐(あき)川というのがありまして、河口に安岐町があります。港と考えると「アキ津」ですね。「アキ津」というと、おそらく別府湾それ自体を指すのではないかと思います】



(3) 西はツキスミ、アシハラ


 福岡空港のすぐ近くにある『月隈交番』です。『月隅』の謂れは、別にあるようですが、この近辺には、『金隈』とう、『隈』の字がつく地名が幾つかあります。
28 月隅


〈下月隅公園〉
29 下月隅公園


『葦原』は様々な地域を指し、出雲や豊国等の候補があります。葦原は地名と言うよりは、【湿原】のような意味合いだと考えられます。
それでも、場所を仮定してみます。

魏志倭人伝に、『また、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。四千余戸があり、山と海すれすれに沿って住んでいる。草木が盛んに茂り、行く時、前の人が(草木に隠されて)見えない』とありますので、ここでは松浦半島近辺だと仮置きさせて下さい。



(4) 南はアワ、ソサ

 『アワ』は、徳島県の『阿波』、『ソサ』は『和歌山市』と考えるのが一般的ですが、畿内からは南ではなく西で、北九州からは東の地となります。先程紹介した『日前宮』が『ソサ』にあるとホツマツタヱに記載されていますので、『和歌山市』としましたが、ソサを和歌山市に限定せずに紀伊と考えると、北九州からは東南ですが、南と言っても不可思議ではないとおもいます。

 問題は、『アワ』ですが、国東半島の神話の宝庫の姫島の近くに『粟嶋社』があるので、こちらかもしれない。ここの祭神は、『小彦名命(すくなひこ)』です。


〈姫島〉
31 姫島1

32 姫島2


 何れにせよ、南に関しては、自信がある解答ではないので、仮置きとさせて下さい。



(5) 北はネのシラヤマモト、ホソホコ、チタル国

 『ネ』とは、『北』のことです。これをホツマツタヱで検証してみましょう。

**********

【1綾 : 『東西』の名と穂虫去る綾】
宮の後ろを、北といいます。
夜は宮の後ろの北の部屋で寝るので、北は「ネ」(寝)といいます。
例えば、人が来たとして、日の位置で表すと、日(人)と会わないのが「北」
日(人)と出会うのが「東」で、日(人)が、物事をよく皆見ることができるのが「南」。日(人)が落ち着くのが「西」です帰るのは来た方の「北」です。ネから来た(北)ので、ネに帰るのです。
落葉が返る「ネ」(根)は北です。


〈ヒルコ姫は、速秋津姫と共にカナサキ(住吉大神)から学問を授かりました〉
33 カナサキ一家


**********

 そして、『シラヤマ』は、福岡県宗像市にある宗像氏の山城があった『白山』のことです。
また、ホコソコ、チタル(細戈千足国)は中国地方を指します。



(6) オモタル・カシコネの領土は?

 西は佐賀県の松浦半島、東は南豊前と豊後、南は粟嶋・紀伊、北は宗像と中国地方が、オモタル・カシコネの時代の天神家の領土だったと推測されます。但し、残念ながら、確証はありません。

 但し、オモタルとカシコネは、軍事力で領土を拡大したので、領土は拡大しましたが、豊かな国ではありませんでした。〈貧乏風が吹きすさんでいた〉
枯れた大地に、天候不順で飢饉が襲った為、多くの避難民が朝鮮に移り住みました。

 それに追い打ちをかけるように、オモタルが逝去すると、嫡子がいなかったので、軍事に統制を欠くようになり、倭国各地で反乱が勃発しました。私は、この反乱が『倭国大乱』だと考えています。西暦180~190年頃のことです。



(7) アワナギ サクナギ


 イサナギの家系は天神家の血脈の本流ではありませんが、イサナギはオモタルの後継となります。
天神4代のウヒチニの養子となったアメヨロヅは、ソアサ(四国)を治めました。
その子供のアワナギは、オモタルからネの国(サホコチタル 中国地方も含む)を柵封されサクナギとイヨツヒコ(サクナギの子)は四国地方を引き継ぎました。

 そして、アワナギの嫡男のタカヒト(イサナギ カムロギ)がイサナミと婚姻し、天神7代となると、イサナギの弟のクラキネが、ネの国を引き継ぎました。

 従って、天神嗣子家の領土も加えると、オモタルが武力で制した土地に、四国が加わりますが、肥沃な大地ではありませんでした。

〈天神家・天神嗣子家領土〉
34 九州北部

35 中国 四国


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「今日はこのくらいで、良かろうかの?」
「次は、イサナギとイサナミの時代の領土の話をしようかね」



小説『邪馬台国ラプソディ』著者
川鍋 光慶

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