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XXⅢ 高皇産霊家の興隆

   前回の22話では、高皇産霊家の祖先の『クニトコタチ(黄帝)』から、『クニサッチ(黄帝の子孫たち)』の一人の『ハコクニ』までの話をしました。今回は、『ハコクニ』の祖先の話から初め、、高皇産霊尊の豊受大神の話まで語ります
私流のやり方は、記紀・ホツマツタヱと、史実や考古学を融合させ、新しい境地で、闇に包まれた古代の歴史の謎を紐解き、古代の歴史の大河ドラマを創作することです。

1 神聖なる生誕
【神聖なる生誕 : 瑠璃の星 イラスト】


1、  高皇産霊家の意味?

   『高皇産霊(たかみむすび)』の名は、歴史を知る人でしたら、ご存知だと思います。
私も、ただ漠然と、「古臭い名前だな」と思いながら、記憶しました。

  でも、何故、こんなヘンテコな名前を付けたと不思議に思いませんか?
このブログを書いていて、ふと、「どんな意味なのかな?」と、天の邪鬼の虫が、突然蠢き出しました。

  では、思い立ったら吉日で、早速、意味の解読にチャレンジしてみましょう。
 
  先ずは、簡単なところから、『皇』の字ですが、これは『天皇』『皇帝』『皇族』『皇居』等に用いられますので、『高皇』は、恐らく『最上の皇族』、つまり、『天皇・天神』の事だと推測されます。
 次の『産』は出産することで、『霊』は『はかり知ることのできない不可思議な働きがある。神々(こうごう)しく尊い。神聖』の意味ですので、『高皇産霊家』とは、『天皇を出産する神聖なる一族』、つまり、『摂関家〈外戚〉』ではないかと、邪推しました。

  定説がないので、単なる勝手な推測に過ぎませんがが、高皇産霊家のイサナミ(イサコ姫)が、イサナギ(幼名: カムロギ、諱:タカヒト)に嫁ぎ天神7代となり、天神8代となる天照大御神を出産したことを考えると、私の推測は『当たらずしも遠からず』ではないかと妄想しています。


  ところで、『神道神社』というブログでは、漢字は違いますが、
https://shinto-jinja.jp/?p=1239
『高御産巣日神の神名は、美称(尊称)である「高御(タカミ)」に、「ムス=産巣・産=生ずる・生成する」と「ヒ=日・霊=神霊」との合成語がついたものです。偉大で神聖な生成の霊力の神という意味をもちます。また、高木神という別称の通り、草木植物の生成、さらには農耕の成就をつかさどる神であります』
と説明されています。
草木植物の生成、さらには農耕の成就をつかさどる神だと、まるで中国の三皇五帝の神農(炎帝)みたいですね。

【神農 WIKI】
2 神農


  なお、『高御産巣日神』は古事記の表記で、『高皇産霊尊』は日本書紀の表記ですので、私の説明は古事記に沿ったものです。
ホツマツタヱは漢字で綴られているわけではないので、日本書紀の表記の『高皇産霊尊』を用いて解釈しましたが、『日=天神』(天皇)』とすると、『高御産巣日神』の漢字表記でも、『摂関家(外戚)』の事だと解釈することが可能だと思います。

 何れにせよ、歴史書に明確に『高皇産霊』の名前の由来が書かれていませんので、『摂関家(外戚)』が正しいのか、『偉大で神聖な生成の霊力の神』と解釈すべきかを断定することはできません。どちらの解釈が正しいかは、皆様方の判断に委ねます。


  ただ、『偉大で神聖な生成の霊力の神』では、あまりに漠然としていて、具合的に何をされた方か見当がつきません。
それに対して、『高皇産霊家』は『摂関家(外戚)』だと解釈すると、ホツマツタヱに記述されていることを理解するに役に立ちそうですので、このブログの中では、藤原氏のような『摂関家(外戚)』だと解釈させて下さい。
つまり、この時代の高皇産霊家は、後の藤原一族の様な存在だったのです。

藤原道長
「この世をば  わが世とぞ思ふ  望月の  欠けたることも  なしと思へば」 


3 満月


  しかし、七代目高皇産霊尊の高木神の娘の美穂津姫が二代目大物主のクシヒコ(恵比寿神)に嫁ぐと、高皇産霊家の外戚としての役割は、大物主家に奪われていってしまいました。


  なお、『神道神社』のブログでは、『高御産巣日神=高木神』と個人名にされていますが、ホツマツタヱでは、高皇産霊尊は役職だと解釈しています。確かに、大勢の高皇産霊尊たちの中で、多くの神社で最も名が知られているのが、7代目高皇産霊尊の『高木神』です。
  高木神は、摂関家(外戚)の頭領で偉大なる政治家で、娘の栲幡千々姫は、天神9代のヲシホミミの后となりました。
そして、妹の美穂津姫は2代目大物主のクシヒコ(恵比寿神、国譲りのオオナムチの嫡子)に嫁ぎ、皇室の後宮で権勢を握るようになります。美穂姫は、古代版の『春日局』みたい
です。



2、  高皇産霊家の創建

1)  倭人誕生

  高皇産霊家は、春秋の呉王、アイヌ系縄文人、徐福、徐福が照れてきた浙江省の若者たちが混血した血流の家柄だと推測しています。

  春秋の呉王の子孫と日本の先住民(縄文人)が混血して倭人となり、更に、斉人の徐福と徐福が浙江省から連れてきた若者たちと倭人が混血した国が奴国です。
高皇産霊家の始祖のハコクニは、この奴国の王族だったのではないかと推測しています。

  前回のブログで、ハコクニのことを語りました。今回のブログでは、おさらいの目的で、先ずは、ハコクニの出目に関して、もう一度お話しましょう。


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  先ずは、倭人の日本への渡来の話から始めます。

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 黄帝が剣を用いて、天下を統一しました。

【軒轅夏禹剣 : 黄帝の剣】
4 黄帝の剣


  黄帝の血流である『周』の公子の太伯が江蘇省に移住して、句呉(春秋時代の呉)を建国しました。

  その半世紀後には、国名が『句呉』から『呉』に変わっており、呉王は『僚』でした。
『僚』は不当な手段で王座を得たため、公子の『光』が政変を企みます。紀元前515年
のことです。
マッチョな豪傑の『専諸(せんしょ )』を刺客として選定しました。宴席で、専諸は魚料理の腹の中に匕首を隠して宴席に出て、更に、うやうやしく王の前に行くと、<
strong>魚料理を取り別ける仕草の中、腹から匕首を取り出し王の胸に突き立てました

その剣が、『魚腹剣』です。『光』は呉王となり『闔閭(こうりょ)』と名乗るようになります。

【魚腹剣】
5 魚腹剣


  呉王闔閭は、賢臣の伍子胥(ごししょ)と、『孫子兵法』の『孫武』を配下にし、春秋の覇者の『楚』を打ち破り、楚の王都の郢(えい)を奪取しました。
しかし、御の敵の越、秦、楚が同盟を結び、更に、闔閭の弟の夫概(ふがい)が反乱を起こしたため、闔閭は呉に退却
しました。
なお、この夫概が秦氏(はたし)の始祖といわれています。


  その後、呉と越の仲は最悪な状況となり、『呉越同舟』の諺(ことわざ)がうまれました。
そして、呉王闔閭は兵を起こし、越を攻めますが、越王の句践(こうせん)の賢臣の范蠡(はんれい)の奇策に破れ命を失います。

6 呉の系図


  闔閭の跡を継いだ夫差(ふさ)は『臥薪〈薪(まき)の上に座ること〉』をして、復讐の念を抱き続け国力を増強し、ついに越王句践を破り捕虜にします。夫差は優しい性格で、句践を殺しませんでした。
すると、今度は、越王句践が『嘗胆〈苦い肝(きも)を舐めること〉』を毎日実施し、敗戦の没落からの復興を進めました。
その結果、越王の句践は、呉王の夫差(ふさ)を破り、夫差が自害したので、越は滅亡してしまいました。


【呉越戦争 越の勝利】
7 越の勝利

  この話の前半の部分は、小説『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』に載せています。
また、後半の部分で、傾国の美女西施が登場する部分は、『邪馬台国ラプソディ〈第二巻〉』に掲載する予定です。
面白くて、ロマンチックなH仕立てにしていますので、お楽しみ下さい。

【越王勾践剣】
8 句践の剣


  呉の亡国の王族は海に逃れ、倭人となります。北や東に海路で日本に辿り着きました。しかし、荒波を乗り越えて、生き延びた呉の王族の人数は多くはなかったはずです。

  そこで、先住民のアイヌ系縄文人と血縁を結び、日本に水稲栽培を始めたと考えられます。未開の地で生き残る策として、リスクを伴う同じ姓同士の結婚を避けたと思われ、また、先住民のアイヌ系縄文人を灌漑工事や、治水工事、と農作作業に使う目的で、呉人たちは先住民のアイヌ系縄文人との混血を進めたと考えられます。

  一方、先住民(アイヌ系縄文人)は、縄文時代晩期には九州北部に2000人しかいませんでした。
先住民の多くは、関東、信州、北陸に住んでいたのですが、縄文海進の時代が終わり、食べるものに困るようになっていました。
  遠浅の汽水の入江は、漁の幸や大地の恵みを齎し、縄文人の人口を増加させ、紀元前2300年頃には日本の人口は26万人まで膨れ上がりました。
その後、冷寒期となり気温が下がった為、海水の温度が2℃下がり縄文海進が終わり、遠浅の海がなくなりました。また、関東・信州地方は富士山の噴火の影響を受け、食べるものがなくなり、その結果、日本の人口は80000人まで激減してしまいました。

【関東の縄文海進】
9 関東縄文海進


  そこで、恐らく、関東や信州に住む先住民、あるいは、南九州の先住民は、呉人から水稲栽培の方法を学び、農業で生計を立てようと考え、信州や北陸、関東から九州北部に移り住み、呉人と婚姻関係を結び、環濠集落を形成していったものと考えられます。


  呉の亡国の王族は、武力による侵略という手段をとらず、先住民たちとの同意を得て、混血政策を進め、環濠集落を築き、水稲栽培を普及させていきました。そのため、渡来人が先住民を虐殺したという証拠や遺物が残されていません。
  これは、ジンギスカンが逆らった占領国の人民を、また、スペイン人のインカ帝国やアステカ・マヤ人を、大量虐殺したり、奴隷にして虐待したのとは大きく異なります。



2)  徐福の渡来と奴国の誕生

  一方、斉(山東省)人の徐福は秦の始皇帝の命令で、不老不死の薬を求めて、二度旅立ちました。初回の出港は紀元前219年で、河北省秦皇島からでしたが、発見することが出来ずに戻って来ました。
  そして、二度目が、紀元前210年で、浙江省寧波(ねいは)市慈渓(けいじ)市からい出港し、韓国済州道西帰浦市(ソギポ市)や朝鮮半島の西岸に立寄り、日本に辿り着いたとされています。佐賀県に上陸したと言い伝えられています。

  司馬遷の史記には、3000人の童男童女者を中国から連れて出港したと書かれています。 その後、徐福はその多くを佐賀県に取り残して、紀伊半島経由で、富士山へ向かったそうです。
  そこで、佐賀県に残留した華南の若者たちが、吉野ケ里に小さな国を建国します。

【徐福像】
10 徐福像


  徐福は、斉(山東省)の金属加工技術と甕棺墓、華南(浙江省)の水稲栽培法を佐賀県に持ち込み、その子孫や従者たちが吉野ケ里を築き上げました

  そして、呉王夫差の子孫(倭人)と、徐福と、徐福が浙江省寧波近辺から連れてきた若者たちと、先住民のアイヌ系縄文人の混血が、須玖岡本遺跡の王族で、ハコクニはその王族ではなかったかと考えられます。

11 青銅の鋳造




3)  日高見までの道程

  それでは、高皇産霊尊に関係するホツマツタヱの文章を、私流の解釈で説明していきます。

茶色の部分は、ホツマツタヱのヲシテ文字をカタカナに直した原文ですので、飛ばして頂いて結構です。ご興味がある方は一読ください!

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【ホツマツタヱ 4綾:日の神の誕生と御名前の綾】

ムカシ コノクニトコタチノ ヤクタリコ
キクサオツトノ ホツマクニ
ヒガシハルカニ ナミタカク
タチノホルヒノ ヒタカミヤ
タカミムスビト クニスベテ

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  クニトコタチ(黄帝)には8人の子供がいましたので、中国の各地に王として封じました。その王たちの子孫は中国の外にも、沢山の国々を建国しました。
王族の子孫の一人が、司祭用の招霊(おがたま)の木と、稲の種を携えて、日本の九州に移住しました。
中国からは遥か遠い、荒波が立つ海の日が昇る彼方にある九州に辿り着き、そこから更に東の日高見に行き、高皇産霊尊として、日高見国をまとめました。


 これは、かなりの意訳になっていますが、私流の解釈です。

【日田盆地の底霧  日の出の方角 : 日田盆地の自然と文化財より】
12 日田盆地の底霧


  福岡県の朝倉や浮羽は、須玖岡本遺跡の南東になりますが、『この地域から眺めると、日田市は東方の山の上にあり、その先に豊後水道があるので、日田こそが日高見のことです』と、日田市の伊藤塾(歴史研究会)の佐々木祥治氏が説明してくれました。
  なお、古代に、日田の先祖は、春日から東方の日田に移り住んだという逸話が残されています。

 なお、『日高見』は大分県日田市だという根拠は、このブログ『邪馬台国ラプソディ〈第一話〉』の13話(XIII)で示していますので、ご興味があれば、そちらを御覧下さい。



4)  ハコクニとキノトコタチ

  ホツマツタヱの中で、ハコクニとキノトコタチの話が記載されている部分を、検証をしてみましょう。

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【第2綾 天七代、床御酒の綾】

アメノカミヨノ ナナヨメオ ツグイトグチハ
トコヨカミ キノミヒガシニ ウエテウム
ハコクニノカミ ヒタカミノ タカマニマツル
ミナカヌシ タチバナウエテ
ウムミコノ タカミムスビオ
モロタタユ キノトコタチヤ
ソノミコハ アメカカミカミ ツクシタス

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 天神6代のオモタルとカシコネが没すると、二人には嫡子がいなかったので、国が乱れてしまいました。そこで、高皇産霊家のトヨケ(豊受大神、諱 タマキネ)が天神代行を務めましたが、天神本家の血脈が流れていないので、服従しないものが続出し、大乱を治めることができませんでした。
そこで、豊受大神は、天神嗣子家のタカヒト(イサナギ)と、自分の娘のイサコ姫(いさなみ)を娶せ、天神7代とすることにしました


【イサナキとイサナミの婚姻 : 瑠璃の星イラスト】
13 御両尊の婚姻


  それでは、ここで、イサナギとイサナミを輩出した高皇産霊家の起源を復習してみましょう。

  黄帝の子孫の男女が東の地〈日本〉に移住(苞苴:つと)して、生んだ子供の名をハコクニ神といいます。
ハニクニは、日高見の高天(英彦山)にミナカヌシ(黄帝・帝禹)を祀りました。

 永久の繁栄を祈り、タチバナを植えると、まもなく御子が誕生しました。その子供に、『キノトコタチ神』と名付け、人々は初代の『高皇産霊尊』として称えました


  ここでいう『タチバナ』とは、古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守を常世の国に遣わして『非時香木実(時じくの香の木の実)』と呼ばれる不老不死の力を持った霊薬を持ち帰らせたという話が記されていますので、現在の橘とは別の植物だったと考えられます。



5)  アメカカミ

   『4) ハコクニとキノトコタチ』のところで引用したホツマツタヱの文章の中に、

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キノトコタチヤ
ソノミコハ アメカカミカミ ツクシタス

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『キノトコタチ』が儲けた子供の名は『アメカカミ(天鏡)神』と名付けられ、筑紫の地を治めました】と、書かれています。

  『筑紫』とは、現代の筑紫郡だと考えると、福岡県筑紫野市・春日市・大野城市・太宰府市・那珂川町と福岡市の一部がある地域を指す地名です。 日高見と考えられる日田市から近距離ですし、奴国があった地域です。


 このアメカカミ(天鏡)は、イサナギの祖父のアメヨロツ(天萬)の親なのですが、いったい、どのような人物だったのでしょうか?
 
私は、アメカカミは、『女性』だと思っています

  それでは、その理由を説明します。

ホツマツタヱの『2綾 天七代 床御酒の綾』に、次の文章があります。

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『ヒナ』というのは、大人になる前の呼び方です。
『君』という呼び方は、そのモモの木と実に因(ちな)んで、男尊を『キ』、女尊を『ミ』と名付けたことによります。

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  少し、この部分の説明をします。

雛祭りの『雛(ひな)』ですが、ホツマツタヱの定義では、『一歳(ひとつ)』から『七歳(ななつ)』までの幼児としています。

【直方 多賀神社 吊るし雛 : 瑠璃の星 撮影】
14 吊るし雛



  そして、『一歳(ひとつ)』から『十歳(とう)』の時期を過ぎると、大人になり、『人(ひと)』になります。『人』になると、結婚適齢期です。

  大昔で、平均寿命が短かったとはいえ、10歳での婚姻はオマセ過ぎるように感じられますね。でも、江戸時代でも、18歳になると『大年増(おおどしま)』と呼ばれたので、弥生時代で平均寿命が30歳の時代なら、早婚も致し方なかったのかもしれませんね。


 天神四代のウビチニとスビチの幼名は、モモヒナキ、モモヒナミです。
10歳になり、桃の花が満開になると、一人前の『人』となり、天神となった二人は『君(きみ)』と呼ばれる
ようになりました。

【直方多賀神社の桃の花 :瑠璃の星 撮影】
15 多賀神社の桃花


   『君(きみ)』の『き』は桃の『木』を、『み』は桃の『実』を意味します。
そして、『木』と『実』の形状から、男尊は『木(き)』、女尊は『実(み)』と名付けられました
 それで、『モモヒナキ』や『イサナキ』は男神で、『モモヒナミ』や『イサナミ』は女神なのです。
  この定義に従うと、『アマカカミ』は女神ということになります。


  話は変わりますが、アマカカミの子の『アマヨロツ(天萬)』が、天神4代のモモヒナキ(ウビチニ)の子供となったとホツマツタヱに書かれています。

  この解釈には、二通りに解釈することができます。
1つ目は、アマカカミがウビチニの側室になり、生んだ子供がアマヨロツだった。
2つ目は、アマカカミが生んだ男子のアマヨロツとウビチニの皇女が結婚し、天神家がアマヨロツを婿養子として迎えた。


  その後、天神6代のオモタルとカシコネには嫡子がいませんでしたので、アマヨロツの子孫のイサナギが天神家を継ぐことになりました

  アマヨロツはイサナギの祖父なので、イサナギの曾祖母はアマカカミということになります。



6)  モモヒナミ

16 ウビチニ・スビチ


  『瑠璃の星』さんが描かれたモモヒナキ(ウヒチニ)とモモヒナミ(スヒチ)の感動的なイラストを鑑賞しながら、ホツマツタヱの続きを話します。

【『君(きみ)』の『き』は桃の『木』を、『み』は桃の『実』を意味します。
そして、『木』と『実』の形状から、男尊は『木(き)』、女尊は『実(み)』と名付けられました】 と、ホツマツタヱに書かれています。
  少しだけスペースを割いて、この続きを話させて下さい。
 
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二人は10歳の誕生日を迎えると、桃が満開になったときに、二人は結婚し、熱い心で結ばれました。
二人の体が火照ったのでしょう。三日目の朝に、汗まみれになった二人は殿堂から出て、川の水で汗をぬぐおうとしました。
冷たい川の水を浴びたとき、モモヒナキは大袖の衣装を着て、モモヒナキは小袖を纏っていました。その時、モモヒナキは多く袖を濡らしましたが、モモヒナミは少しだけ濡らしただけで済みました。

  その一瞬のシーンを捉えたが、瑠璃の星さんの華麗なイラストです。

 このときから、二人は、名を『ウビチニ』と、『スヒチ』と名乗るようになりました。
『多い、少ない』ということを『ウ・ス』と呼ばれるようになったのは、この話によります。

  また、この話がもとになり、王族の正装は、男は冠をかぶり、大袖に袴を着け、女は小袖に被衣(かずき)を被るようになりました。この時以来、みな妻を迎え入れるようになりました。
多くの臣達もこれにならい、全ての民もみな妻を娶るようになりました。
身分や家柄に即した婚姻制度が整い世の中の決まりが整い、通い婚だった夫婦生活が、一緒に生活するようになりました。

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  オオナムチ(大国主)と一緒に水稲栽培の普及と薬学を発展させた『スクナヒコ』は、この感動的なストーリーに感化され、オオナムチと別れてからは、諸国を旅し、この話を広めていったそうです。



3、  倭人が齎した水稲栽培の拡散

1)  倭人が齎した水稲栽培を普及させたオオナムチ(大国主)

  高皇産霊家のホームグラウンドの日高見は、後に、天照大御神の跡を継いだヲシホミミが首都にします


  それでは、ここで一休みして、高皇産霊家の有名人を紹介します。

  高皇産霊尊で一番有名なのは伊勢神宮の外宮に祀られている豊受大神ですが、その次に名を知られているのは、『高木神』です。

  この高木神の一番の功績は、オオナムチ(大国主)の国譲りを実現させたことです。
また、高皇産霊家出身の有力者は、イサナミ、ヲシホミミの后の栲幡千々姫、二代目大物主のクシヒコ(恵比寿神)の妃になり後宮で牽制を握った美穂津姫、そして思兼(おもいかね)です。

  高木神は、大国主(オオナムチ)に国譲りを認めさせ、天照大御神、ヲシホミミやニニキネの時代に権勢を握るようになります。
それでは、ここで少し、オオナムチの時代の話をします。

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  オオナムチはスサノヲと櫛稲田姫の嫡男で、初代大物主となります。オオナムチは、水稲栽培を普及させ出雲を豊かにし、備蓄米で倉庫を満たした人物として知られています

  また、オオナムチ(大国主)は七福神の大黒天とも呼ばれ、米俵の上に腰をかけているイメージです。

  実は、大黒天はもともと古代インド暗黒の神マハーカーラ(仏教を守護する戦闘神)で、中国に伝わり、唐代厨房の神の神として崇められました。
更に日本に伝わると、天台宗の寺院の厨房に祀られるようになり、鎌倉時代に大黒天と大国主が習合し、大黒天は田の神とみなされるようになりました
だから、本当は、大黒天とオオナムチ(大国主)とは別の神なのです。

  ただ、厨房の神・大黒天が食物を集めるという意味で、穀物の神のオオナムチと同一視されるようになり、田の神となり、南北朝の頃になると、この厨房の神が豊作や経済利益を生む福の神になっていきます。

17 大黒天


  なお、大黒天は壱円紙幣の図柄にもなりました。この紙幣は『大黒券』と呼ばれ、1885~1958年まで使用されました。

  紙幣の強度を高めるためにこんにゃくが混ぜられました。そのため虫やネズミに食害されることが多々あり、保存状況が悪いため、古銭的な価値は数千円から数万人以上で取引されています。日本政府公認の米俵の上に乗るオオナムチの1円札は憧れの的です。

18 大黒壱円札紙幣

  話を元に戻しますが、水稲栽培の普及で出雲を豊かにしたオオナムチに、国譲りを促したのが、日高見に住む七代目高皇産霊尊の高木神です。
日本の水稲栽培の発祥が紀元前500年頃のことですので、この話は弥生時代の話だと特定することができます。



2)  倭国の水稲栽培の伝搬

  日本に水稲栽培が伝来したのは、佐賀県唐津市の菜畑遺跡といわれ、紀元前500年頃の頃で、その次に古い田圃の遺跡は福岡県福岡市の板付古墳です。
静岡県の登呂遺跡は1世紀末の遺跡です。

【登呂遺跡】
19 登呂遺跡


  そして、東京都の東京大学工学部近辺で、弥生式土器が発見されました。

20 弥生町遺跡


 また、東京都中野区の松が丘の片山遺跡は、1世紀後半~3世紀初頭の大型遺跡です。
首長が誕生したと考えられていますが、まだ拠点的集落レベルであり、国と呼べる規模ではありませんでした。
ここで発掘された土器は、静岡県東部や長野県頭部のものの特徴を持っていますので、西方から弥生式文化が伝来したことが分かります。

21 中野遺跡


 つまり、九州で弥生時代に始まった水耕栽培は、西から東へと広がって行ったことになります。



3)  高皇産霊尊が活躍した時代

  日本神話の世界に戻りますが、日高見は高皇産霊家のホームグラウンドで、天照大御神の跡を継いだヲシホミミが首都にした場所です。

  さて、高皇産霊家の出身者で誰でも知っているのが『イサナミ』で、五代目高皇産霊尊の豊受大神の娘です。つまり、高皇産霊尊たちや、イサナミが活躍した時代は、弥生時代なのです。


  明治時代の東京帝国大学(現在の東京大学)を代表する東洋史学者の白鳥庫吉(1865~1942年)氏や、その見解を受け継ぎ、それを「邪馬台国東遷説」という形で大きく発展させた東京大学の哲学者・和辻哲郎氏(1889~1960年)は、【「邪馬台国東遷説」というのは、邪馬台国は九州に存在し、のちにその勢力を受け継ぐものが東遷して大和朝廷になった】とする説を唱えました。

22 和辻哲郎氏


「邪馬台国東遷説」の要点は以下の通りです。

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(1) 卑弥呼のことが神話化し、伝承化したものが天照大御神である。
   (卑弥呼=天照大御神)

(2) 九州にあった邪馬台国が、本州の大和に移動した。
   神武天皇の東征伝承は、その間の事情を伝えるものとみられる。

(3) 九州から大和へ移動した時期は、3世紀の後半から、西暦300年前後にかけてのころであろう。


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  邪馬台国九州説では、天照大御神が3世紀の中盤の人物としています。
それに対して、邪馬台国畿内説は、記紀に書かれた内容は単なる神話で、現実にあった話ではないとする立場をとっており、『神武天皇の東征』はなかったとしています。
  この為、神武天皇の東征が、歴史の教科書から外されてしまいました。これは、あまりに歴史を歪め、神話化してしまった記紀の罪だと思います。

  邪馬台国九州説をとった場合には、『神武天皇の東征』があったとすると、天照大御神や高木神は弥生時代の人で、天照大神の跡を継いだヲシホミミが都とした日高見もやはり弥生時代の話となります。
  それに対して、邪馬台国畿内説では、日本神話は作り話としており、天照大御神や高皇産霊尊、日高見は存在しなかったという立場に立っています。

  どちらの説が正しいのかを断定する物証はありませんが、私個人は、日本神話は日本の歴史の一部だと信じています



4、  2代目、3代目、4代目の高皇産霊尊

  キノトコタチが初代の高皇産霊尊ですが、キノトコタチの娘がアメカカミです。
そして、アメカカミが生んだ子がアメヨロツですが、アメヨロツが、天神4代のウビチニの実の子か、皇女の婿養子かは定かではありません。
  ただし、ウヒチニは華南の遺伝子を引きついでいる可能性が高いので、ウヒチニとアマカカミの子だとすると、天皇家には華南民族の遺伝子を行け継いでいることになります。しかし、天皇家の男系の遺伝子はアイヌ系縄文人の男系遺伝子が流れているので、この説の信憑性は高くありません。
  現在の天皇家の血脈がアイヌ系縄文人のY染色体を引き継いでいることを考えると、ウビチニの皇女の婿養子説の方が有力のように思えます。

  また、正室でなく、側室ならば、天神の『摂関家(外戚)』とはならないことも、その理由の一つです。
〈皇后(正室)のスヒチがウヒチニの異母兄弟の場合には、その限りではありません〉

【日田盆地】
23 日田盆地図


  さて、謎はまだ残されています。
ホツマツタヱには、2代目、3代目、4代目の高皇産霊尊に関して、全く記述がありません。
可能性として、キノトコタチには嫡男がおらず、アマカカミが2代目高皇産霊尊となったことが考えられますが、アメカカミが統治した場所は筑紫(奴国)で、日高見(日田市)ではないので、高皇産霊尊ではなかったことになります。

  時代的には、奴国が金印を授与された西暦57年頃の話ではなく、天神家が奴国から鉄の道を奪った後の話で、後漢書東夷伝に記載されている西暦107年の師升(すいしょう)の後漢への朝貢の後だと想定されます。

24 金印



疑問は尽きません。
①  倭国大乱の前の、邪馬台国の初めの男王は『師升』だったのか??

②  そうすると、『師升』とは、天神3代の『トヨクンヌ』のことなのか??

③   アメカカミの旦那さんは誰だったのか??


  残念ながら、これらの疑問に関しては、現在までに集めた資料だけでは、的確な答えを出すことはできません。
ただ、アイヌ系縄文人の中には、大きな集団を率いていた偉大な頭領が存在したように感じられます。
この偉大な頭領が、アマカカミの亭主だったのかもしれません。
  この件は、引き続き、調査していきます。



5、  豊受大神

  さて、いよいよ豊受大神の登場です。豊受大神は、五代目高皇産霊尊で、イサナミの父です。

  豊受大神は伊勢神宮の外宮に祀られている有名人〈神〉ですが、そのプロフィールは、記紀や神社に残る由緒書に残されていません。
さて、マスクを被った知名人の素顔を、ホツマツタヱから導いていきましょう。

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トコヨのハナオ ハラミヤマ カグヤマトナス
ヰモツギノ マサカキモウエ
ヨヨウケテ ヲサムヰツヨノ
ミムスビノ ヰミナタマネキ
モトアケオ ウツスタカマニ

アメミヲヤ モトモトアナレ
ミソフカミ マツレバタミノ トヨケカミ
ヒガシノキミト ミチウケテ オオナメコトト
マサカキノ ムヨロニツキテ
ウエツギハ フソヒノスズノ
トシスデニ モフソヨロナチ ヰモフソニ
カンガミレドモ カンマコノ チヰモウシアル
ソノナカミ アメノミチエテ
ヒトグサノ ナゲキオヤワス カミアラズ

アラネバミチモ
ツキンカト ナゲクトヨケノ
ハラミヤマ ノホリテミレド
ヤシマナル ヨロマスタミモ
ウグメキテ ミチナラエヌモ
コトワリト ヤハリナゲキテ
ヒタカミノ ミヤニカエレバ

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【豊受大神 : 瑠璃の星 イラスト】
25 豊受大神


 文章が長いので、意訳のみを記載します。

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 帝禹の司祭に則り、神に供える花木をハラミ山に植えると、芳しい香りがするようになりましたので、ハラミヤマは香久山と呼ばれるようになりました。それから、祭祀に用いる真榊を、五百本植え継いでいきました。

高皇産霊尊は、真榊を代々受け継いでいき、五代目のタカミムスビの、諱タマキネ尊(豊受大神:トヨケ)の時代になりました。
天上のタカマにいる(中国で祀られていた)神を、地上(英彦山)のタカマに移しました。そして、そこにアメミヲヤの神、トホカミヱヒタメの神、アイフヘモヲスシの神と三十二神の神々を祀りました。それで、民たちは、タマキネを トヨケカミ(トヨケの君)と呼び、崇めるようになりました。
トヨケ尊は東の君として、帝禹の教えを受け継ぎ、大嘗事を受け継ぎました。

アメミヲヤ(黄帝)の子孫には、人の上に立つ者も大勢いますが、ウビチニが逝去し、正式な婚姻制度で生まれた子(黄帝の血が強く流れている子孫)がいなくなると、有力豪族や民たちが心底から崇めることができる血脈の王が途絶えてしまったので、民や豪族は皇族に従順に従わなくなってしまいました。

そこでトヨケがハラミ山に登って、地上を見回してみましたが、『黄帝の血脈を強く引く王がいなくなってしまったので大乱が生じてしまった。それで、国中の沢山の民たちがうごめいている』と、つくづく嘆き、ヒタカミの宮に帰りました。

**********


  かなり滅茶苦茶な意訳で恐縮ですが、腹違いの兄弟同士の結婚が最も神聖とされた時代でしたので、このような意訳としてしまいました。
一般的には、『ノリ』を法や道理、教えと訳しているようですが、法、道理、教えでは、何のことだか、チンプンカンプンなので、当時の時世を考慮し、あえて、『強い血脈』と解釈しました。



 今回は、これまでとさせてください。
次回は、いよいよ、イサナギとイサナミの結婚の話になります。
楽しみにしていて下さい。


『邪馬台国ラプソディ』著者
川鍋 光慶

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No title

誤字が多いです。
過去の記事についてもいえます。
見直してみてください。ホツマ原文
名前も、間違っているのは残念です。

私は名前を間違えられたら怒ります。
間違えた方には訂正を求めます。
氏名=使命と思っています。

単なる空想ファンタジーならなにも言わないですが
歴史に光を当てるなら、なおさら大事と考えます。

アメカカミは気になる人物ですね。
やはり名前からして気になります。

申し訳ございません。仰る通りです。
時間はかかりますが、始めのブログから、誤字の見直しをします。
ブログの使い方をまだ熟知していないため、誤字チェックのために印刷しようとしたら、数回データが全部飛んでしまいました。
いいわけでしかありませんが、それで見直しがいい加減になってしまいました。
対応策を考えてみます。

アメカカミは、非常に重要な人物なのですが、中国の本には登場せず、また、記紀やホツマツタヱでも名前しか出てきません。
キーワードが、ホツマツタヱの『キノトコタチの子』『筑紫を治める』『アメカカミの子がアメヨロツ』だけしかないので、真実に辿り着くのに苦労しそうです。
でも、春日市のことのようですので、奴国の丘歴史資料館に問い合わせるのが効果的かもしれませんね。




> 誤字が多いです。
> 過去の記事についてもいえます。
> 見直してみてください。ホツマ原文
> 名前も、間違っているのは残念です。
>
> 私は名前を間違えられたら怒ります。
> 間違えた方には訂正を求めます。
> 氏名=使命と思っています。
>
> 単なる空想ファンタジーならなにも言わないですが
> 歴史に光を当てるなら、なおさら大事と考えます。
>
> アメカカミは気になる人物ですね。
> やはり名前からして気になります。