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XXIV ご両尊の浮橋

 さて、『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』のブログも第24話となりました。
今回はイサナキとイサナミの婚姻の仲人のエピソードを掘り下げてみます。そして、天神7代が興隆させた国が『オオヤマト』と呼ばれるようになった経緯を話します。

1 イサナキとイサナミ


1、  天照大御神の可愛らしい眼

   上のイラストは『瑠璃の星』さんが描いた『天照大御神を抱くイサナミのイラスト』です。なんと、可愛らしい赤ちゃんなのでしょう。
 ホツマツタヱの『4綾 日の神の御名前の綾』に、このときの情景をこう書いています。
【公子は誕生してからずっと目を閉じたまま、夜も昼もなく月日が過ぎていきました。その年の秋の満月の日に、やっと開いた眼(まなこ)は本当に愛らしいかったです】


 それでは、イサナキとイサナミが、つぶらな瞳の天照大御神を抱けるようになった経緯を、数回のブログに渡って語っていきます。




2、  イサナギとイサナミの縁談

1)  天神7代擁立の理由

 イサナキとイサナミの縁談の話から始めましょう。

 古事記も日本書紀も、国造り(国産み)をしたのは、イサナキとイサナミです。
厳しい身分制度の時代に、天神(あめかみ)本家の男系の血統ではないイサナキとイサナミが、どうして、天神7代を受け継ぐことができたのでしょうか?
その謎を解き明かしていきます。
 ホツマツタエの文章にそのヒントが隠されています。先ずは、次期天神候補を選定しようとした時代の社会的的な背景について話します。

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ツギコナク ミチオトロヒテ ワイタメナ

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 私流の解釈を示します
【天神6代のオモタルとカシコネには世継ぎがありませんでした。
正統な天神の血脈が途絶えようとしたとき、世継ぎ争いが発生し、戦乱となってしまいました。
そこで、天神7代の候補の男女を選定し、天神7代として擁立することにしました】


2 古代の戦争


 私の解釈は独りよがりのところがあります。そこで、他の方々のこの部分の解釈を載せましたので、比較してみて下さい。

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(株)日本翻訳センター『ホツマツタエ』
【最後まで嗣子に恵まれなかったばかりに、せっかく統一なった豊かな国も次第に乱れ秩序を失っていきました】

朝倉未魁氏訳
【長い年月、オモタル尊には世継ぎもなく、決まりも守られなくなり、秩序がなくなった】

ホツマツタヱ研究家 吉田六雄氏
【偏に、国常立より続いた天成る道も衰ひて、天地、臣民に示す権威のわいためな(けじめ)も無くなって来たようです】

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  御三方の訳は正統なものだと思います。
ホツマツタヱの翻訳をするにあたり、参考にできるものが何もないところから始め、古文の辞書をひきながら解読を進めるのは、血の滲むような努力をされたことだと拝察します。

  愚鈍で怠慢な私には、皆様方がご教授されている『国常立より続いた天成る道』や『決まり』がどのようなものか理解できておりませんが、上記の訳は少しこりすぎているように感じられます
あまり単語の解釈に拘らずに、もっと全体を見て、単刀直入に解釈されたらいかがでしょうか?

その理由を述べてみます。
① もし、『ミチ』が為政者としての心得や具体的な方策だとすると、これは学問や訓練で引き継いでいくことができます。
それに、天神6代のオモタルに嫡子がいなくても、天照大御神に帝王学を教えたトヨケ(豊受大神)なら、東の君として立派に政ができたはずです。
しかし、世の秩序が乱れてしまいました。
つまり、『国常立より続いた天成る道』は役にたたなかったことになります。

オモタルに嫡子がいないことと、世の秩序が乱れることの因果関係が見いだせません
『ミチ』の解釈が間違っているように思えます。
私は『血のミチ』、つまり血統のことだと考えています。そのように考えると、オモタルに嫡子がいなかったことと繋がります。

③ 豊受大神(トヨケ)がハラミ山から眺めて、世は混乱していると嘆いた場面があります。
しかし、山の上から眺めて、秩序が乱れていることがわかるでしょうか?
例えば、賄賂が横行しているとか、政府の公金を横領したとかいった法律違反行為が多発しているかどうかを知ることは不可能です。
山の上からの遠望でなく地上でも、道徳違反を看破することは難しいです。
そもそも、『秩序が無くなった』というのは、どのような状態を指すのでしょうか?
私は、『戦乱』の事だと判断しています。

④ 『ワイタメナ』ですが、『ワイタメ』が秩序・法・教えの意味で、『ナ』は恐らく『無い』と解釈されているようです。
しかし、この言葉をへそ曲がりの私は、『沸いたような状況だ』とか、『喚(わめ)いている戦場』と、勝手な解釈をし、何れも戦乱が発生していたと推測している次第です。


 私は単純ですので、
世継ぎがないために生じる無秩序な状況とは、『次期王の跡目争い』以外には思いつきません
だから、跡目争いの為の戦乱が生じたのだと考えるのが妥当だと思うのです。

 山の上からでも、戦争や火付けが起こっていたり、多くの難民が集まっているような光景を遠望することができます。 
それならば、秩序がない戦乱状態になっていることが分かります。

 つまり、『ミチオトロヒテ』とは、『法律が守られなくなって』と直訳するより、『正統な血流(血の道)が途絶えようしているため』の意訳の方が、血脈を重んじた当時の法と整合がとれています。
 中国でも日本でも、古代から現代に至るまで、跡目相続は血流が重んじられます

3 大乱


 それでは、天の邪鬼の私流に解釈してみます。
『天神6代のオモタルには世継ぎがおらず、正統な血脈が途絶えてしまったので、世継ぎ争いの大乱が生じた』
と、なります。だから、天神候補選びが始まったのです。




2)  次期天神候補の選定者は誰だ??

 この答えに関係するホツマツタヱの文章を探り出してみましたので、ご覧下さい。
天地開闢の国産みの場面です。

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トキニアメヨリ フタカミニ
ツボハアシハラ チヰモアキ
イマシモチヒテ シラセトテ トトホコタマツ

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 1行目に『トキニアメヨリ フタカミニ』と書かれています。
これは、『◯◯◯◯の時に、アメ(天)より、フタカミ(イサナキとイサナミ)に』 詔(みことのり)が下されたということです。
ここの『◯◯◯◯の時』とは、当時の社会状況を鑑みて、1)で話したように『天神の跡目争いで大乱が生じた時』の意味だとして話を進めます。

 問題になるのは、『アメ』とは誰のことかですが、この漢字は『天』で間違いないでしょう。
 ただ、『アメ』は3通りに解釈することができます。
ⅰ) 天神6代のオモタル : 遺言・遺書
ⅱ) 豊受大神(トヨケ) : 天神代行職としての勅命
ⅲ) タカマ(国会) :   豊受大神が丞相


 『トキ』は、オモタルの逝去後の跡目争いの時代です。オモタルの後継者に関わる遺言や遺書が残されていなかったので、秩序がなくなった(戦乱が生じた)ことを考慮すると、ⅰ)のオモタルではなさそうです。
そして、ⅱ)もⅲ)も、権限を持つのは、豊受大神(トヨケ)ですので、この文章の中の『アメ』とは、豊受大神のことだと考えて良さそうです。

 イサナミが逝去すると、イサナキを追って地獄巡りをしますが、地獄から戻り禊をしたイサナキに、『イサナミのことは忘れなさい』と、豊受大神が勅令を出しているので、詔(みことのり)を出す権限を持っていました。

 つまり、『次期天神候補の決定者は誰だ?』の問題の解答は、『豊受大神』だと考えられます。

【豊受大神 : 瑠璃の星イラスト】
4 トヨケ


 豊受大神は天照大御神の祖父(イサナミの父)で、天照大御神は豊受大神から帝王学を学びました。その時に天照大御神に付き添って一緒に勉強したのが、高皇産霊家の高木神です。

 ところで、伊勢神宮では、豊受大神が祀られている外宮から参拝する仕来りになっていますが、これは、天照大御神が豊受大神の意思(理想)を継いだからなのです。

【伊勢神宮 外宮】
5 伊勢神宮 外宮




3)  天の浮橋(仲人)

さて、それでは次に、天神(あめかみ)になるための手続きをお話しましょう。
下のホツマツタヱの文章に目を通して下さい。

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タカミムスビノ ヰツヨカミ イミナタマネキ
トヨウケノ ヒメノイサコト ウキハシヲ 
ハヤタマノヲガ ワタシテモ トケヌオモムキ
トキムスブ コトサカノヲゾ

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【私流の翻訳】
 高皇産霊尊の五代目の諱(いみな)タマキネとは、豊受大神のことです。
ハヤタマノヲ(速玉男命)が仲人として、豊受大神の姫君のイサコ姫(イサナミ)と、天神4代のウビチニの曾孫のタカヒト(イサナキ)との間に入って取り持とうとしましたが、この婚儀にはイサコ姫が納得していないようで、破談になりかけてしまいました。
 そこで、別の仲人をたてて、二人を再び説得をしました。すると、今度は説得が成功し、婚姻に結びつけることができました。そのエピソードから、その仲人はコトサカノヲ(事解男命)の名を賜りました。



 仲人たちの苦労談は、『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』の中で、ドラマチックに展開していますので、面白おかしく読んで頂ければと存じます。



4)  イサナミの結婚に後ろ向きだった理由

 ところで、何故、イサナキがイサナキとの婚姻に乗り気ではなかったのでしょうか?
私は『なぜなぜ坊や』ですので、とても気になりましたが、私以外は殆どの方々が読み流されるようです。

(株)日本翻訳センターの『ホツマツタエ 目次』には下記の説明があります。
【本家筋のトヨケの願いとはいえ、イサコはヒタカミの国(旧、陸奥)で育ち、タカヒトはネの国(北陸)の出身です。
若い二人とはいえ、言葉や習慣の違いを乗り越えるのには時が必要でなかなか同意しませんでした。
二人の仲を最初に取り持ったのはハヤタマノオですが、結果を急ぎすぎて失敗に終わってしまいました。
次に仲人を買って出たコトサカノオは、じっくりと事の大切さを解いて聞かせた甲斐あって、やっと橋渡しに成功して二人は一緒になることに同意しました】

 何も知らないと、「なるほど」と、頷いてしまいそうです。
でも、この説には幾つかの欠点がありますので、その説明をさせて下さい。
 トヨケ(豊受大神)は高皇産霊家の代表で、本家筋の人間ではありません。だから、跡目争いに決着をつけることができなかったのです。

②  日高見は陸奥(東北地方北東部)ではありません。また、ネの国には中国地方や九州北部も入ると考えています。この理由は、以前のブログで説明済みです。

 若い二人ではありません。『ホツマツタエ 目次』の別の箇所に『ヒルコが生まれた年は、父イサナギ40歳、母イサナミは31歳で、2年後には男42歳、女33歳の天の節で大厄に当たります』と書かれています。10歳で結婚が許され、平均寿命が30歳の時代に、40歳では、決して若いとは言えません。

④  『言葉や習慣の違いを乗り越えるのには時が必要』と書かれていますが、仲人が行き来するだけだと、時間が経過するだけで、言葉や習慣の違いを乗り越えることは難しいと思われます。

⑤  二人共、初代高皇産霊尊のキノトコタチの子孫ですので、言葉や習慣の壁が大きかったとは考えられません。ましてや、日高見に座すトヨケ(豊受大神)が国政を担っていたことを考えても、有り得ないことです。

⑥  説得の時間が問題ではなく、別の理由が必ずあるはずです。


 それでは、私が考える問題点を以下に示します。
①  イサナギ40歳、イサナミは31歳で、結婚するには老いすぎています。お爺さん、お婆さんと呼ばれる年代でした。それに、年齢差が当時の一世代分に当たる10歳近くあります。

6 お爺さんとお婆さん


②  結婚適齢期が10歳からの時代です。イサナギが40歳では、当然数人の妻がいて、沢山の子どもたちは成長して大きくなっていたと考えられます。当時なら、孫がいてもおかしくはありませんでした。イサナミも30歳では同様です。
なお、イサナキの禊で生まれた子どもたちは、先妻の子供だったのではないかと考えられます。
(これは、私の独りよがりの見解でしょうか?)

7 子沢山




5)  イサナキとイサナミの仲人(浮橋)の縁の地

 折角の機会ですので、ハヤタマノヲ(速玉男命)の縁(ゆかり)の地を紹介します。
 和歌山県新宮市の熊野速玉大社の主祭神は、熊野速玉(くまのはやたまの)大神と、熊野夫須美(くまのふすみ)の大神で、イサナキとイサナミのことだとしています。
しかし、熊野本宮大社では、熊野速玉大神とは、日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)のことだとしています

8 熊野速玉大社


 このことより、速玉男命は、イサナキとイサナミの国造り(国産み)の遠征に伴って、和歌山権新宮市まで連れ添って行ったことが分かります。
 和歌山県新宮市は、神武天皇の東征のルートでもあります。

 なお、ホツマツタエでは、イサナミはスサノヲの傍若無人な振る舞いで、多くの民を苦しめたので、スサノヲの隈(くま:悪霊)を落とすことを祈る、熊野神社を全国に建造したといわれています。
その代表的な大社が2つあります。

先ずは、スサノヲが生まれ育った紀伊半島(新宮市)の熊野本宮大社です。
大変な階段を、息を切らせながら登ると、熊野本宮大社があります。ここで、体重が1kg減らすことができます。

【熊野本宮大社】
9 熊野本宮大社

①  証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②  中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③  西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神(イサナミ?)
④  東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤  満山社           結ひの神(八百萬の神)


 そして、もう一つの熊野大社は、スサノヲが統治した出雲の熊野大社です。
主祭神は、素戔嗚尊です。

【出雲 熊野大社】
10 熊野大社 出雲


11 熊野大社 境内図


 また、ハヤタマノヲとコトサカノヲは、熊野神社に祀られている【御隈野(みくまの)臣】だと考えられています。


 話が逸れてしまいましたので、話を本題に戻します。
『当時の正式な婚姻の方法は、歌を送り求婚し、返歌を返し承諾する方法がありましたが、高貴な氏族同士の婚姻の場合には仲人をたてたようです』



6)  天神の任命

 仲人をたて、天神(あめかみ)候補同士の婚姻の橋渡しをしますが、婚姻が成立すると、次に、正式に天神を擁立します。そこで、ここで、先ほどの文章に戻ります。

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トキニアメヨリ フタカミニ
ツボハアシハラ チヰモアキ
イマシモチヒテ シラセトテ トトホコタマツ

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 上段の『トキニアメヨリ フタカミニ』の説明はしましたので、次は、『ツボハアシハラ チヰモアキ イマシモチヒテ シラセトテ トトホコタマツ』の説明をします。

  『ツボハアシハラ チヰモアキ』は、『国の首都を葦原に置きなさい。広大な(千五百の)豊穣の大地(田畑)がその先に広がっています』の意味だと解釈しました。
『ツボ』とは、国の都のことです。そして、『葦原』がどのような場所かは、後段で説明します。

12 豊穣


 それでは、最後の行の意味を考えてみましょう。
『イマシモチヒテ シラセトテ トトホコタマツ』

 ホツマツタヱの『トトホコ』は『ト』と『ホコ』の合成語です。
記紀の中に登場するトホコは『瓊矛』と書くようで、『瓊』は『玉』の意味で、瓊々杵命(ににぎのみこと)にこの漢字が用いられています。

 ホツマツタエでの一般的な解説では、『瓊』は有り難い法が書かれた経のことで、『矛』は治安・警察の意味だとされています。
 しかし、天の邪鬼な私は、『天神就任の任命書』 と 『軍事統帥権を象徴した証(剣・印鑑、御札、槍等)』 の事だと解釈しています。


 そして、『チヰモ』は『千五百』のことですが、ここでは『広大な』の意味で使われています。
『アキ』は一般的には、『秋』または『空き』と解釈されているようですが、イサナキとイサナミは結婚した後で、淡路島や四国、紀伊半島に出向いて、農地開拓をしながら、国造りを進めて行きますので、『肥沃の大地がその先に広がっている』という解釈の方が適切だと考えられます。つまり、『アキ』とは、欲張って『収穫の秋』と『スペースの空き』の両方の意味のことにしました。。


 それでは、『トキニアメヨリ フタカミニ ツボハアシハラ チヰモアキ イマシモチヒテ シラセトテ トトホコタマツ』の文章を私流に解釈したものを示します。かなり極端な意訳ですが、全体の整合性はとれています。


【私流の解釈】
 天神の世継ぎ争いが発生したので、天神代行の豊受大神がイサナキとイサナミに、「国都を葦原(縄文海進の湿地帯)の中に定めよ。広大で肥沃な農地がその先に広がっている。
汝らに、『天神任命の勅旨』と『軍事統帥権』を授与するので、これを用いて、天神7代に就くことを、直ちに宣言せよ」と、詔(みことのり)を発しました。


13 トホコ


 纏めますと、天神に就任するためには、以下の手続きが必要になります。
①  天神の遺言または遺書により、次期の天神を指名する。しかし、天神の遺言や遺書がない場合には、天神代行が天神候補を指名し勅命を下す。
②  男神と女神がペアで天神となるため、天の浮橋(仲人)をたてて、婚姻を成立させる。
③  双方(両家)が婚姻に合意したら、(喪中の天神代行が)天神の任命書と軍事統率権を天神候補者に授与し、天神就任の詔を出す。




7) 天神の資格

  天神7代にイサナキとイサナミが選ばれましたが、二人は天神本家の純粋な血統ではないのに、天神に就任しました。それは何故でしょうか?

 この答えは、どこにも残されていませんので、私の勝手な推測を述べます。
 初代高皇産霊尊のキノトコタチの娘のアメカカミ(天鏡)が、アメヨロツ(天萬)を産みました。
 アメカカミが天神4代のウビチニの妾(そばめ)となったのか、アメカカミの息子のアメヨロツがウビチニの娘と婚姻したのかは定かではありませんが、この系図ならば、ウビチニの嫡子のツノクイの子孫が絶えてしまった場合、アメヨロツの子孫に王位継承権が回ってくることになります。
 そして、アマヨロツの孫がイサナキですので、天神6代のオモタルが逝去し、嫡子がいなかった為、天神候補として、イサナキがノミネートされたものと考えられます。

 丁度、徳川御三家のようなもので、将軍家の血筋が絶えた場合、紀伊、尾張、水戸のいずれの藩から将軍が選ばれましたが、同様の仕組みだったと推測されます。


 一方、イサナミは外戚(平安時代の摂関家)の高皇産霊家出身ですので、后として血統は申し分ありませんでした。
これが、天神となるための資格になったと考えられます。




3、  イサナキとイサナミのマイホーム

1)  マイホーム探し

 弥生時代には、河川の下流の扇状地の部分が、縄文海進の名残で、汽水(海水と淡水が混じり合った水)の遠浅の入江や沼地があり、そこに葦が群生していました。
つまり、『葦原』とは、特定の地名ではなく、河川の下流の汽水の池のような場所のことだと推測されます。

 それでは、この推測が正しいかどうかを、検証してみましょう。

古事記や日本書紀には、このシーンが以下のように書かれています。
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『イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が、国生みの際に、天の浮き橋に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった。これがオノゴロ島である』

15 

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 ホツマツタエに描かれた同じシーンは、以下の通りです。
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フタカミハ ウキハシノエニ サグリウル
ホコノシツクノ オノコロニ
ミヤトノツクリ オオヤマト
ヨロモノウミテ ヒトクサノ
ミケモコカヒモ ミチナシテ
ワイタメサダム イサオシヤ

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 イサナキとイサナミは、仲人が取り持つ縁で結婚することになり、二人の新居を探しました。
軍隊を用いて高台を建造し、その場所を国の中心(オノコロ)にすることにしました。
そこに、宮殿を建造し、国名を『オオヤマト』と名付けました。
そして、多くの物を作り出して、民の食糧生産や養蚕の技術を高め、この地を平定し、大きな功績をあげました。


14 オノゴロシマ1

(ところで、ホツマツタヱには、『イサナギ』ではなく、『イサナキ』と書かれているので、これからは、記紀に書かれている文章のコピーを除き、『イサナキ』と呼ぶことにします)


 尚、記紀ではトホコを『天の沼矛』と呼んでいます。そこで、『沼』という文字は覚えておいて下さい。イサナキとイサナミは、汽水の河川や沼の辺りに高台を築き、そこにマイホームを建造しました。


 それでは、日本書紀とホツマツタエをドッキングしてみます。
【兵士たちは、国の中心(都にする場所)を定めるために、沼のような湿地帯を探索し、イサ川の辺りの小高い場所に、イサ宮を建立することにしました。この場所をオノコロ島と呼び、国家の中心地としました。また、国名を『オオヤマト』という名にしました】


 イサナキとイサナミのマイホームのイサ宮の具体的な比定地は、『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』に記載致していますので、そちらをご覧下さい。



2) 改名

 そして、二人の愛の巣をイサ宮と名付けたので、タカヒトはイサナキ、イサコ姫はイサナミと名を改めました。

 そのシーンを、ホツマツタヱでは以下のように表現しています。

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ケタツボノ ツサノツクバノ
イサミヤニ ウナズキアミテ
イサナキト イサナミとナル

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この訳は以下の通りです。
【日高見(属国)の都が西南にあるツクバのイサ宮で、二人は夫婦になることに公式に合意し、イサナキ、イサナミと名を改めました】

【イサナキとイサナミ:瑠璃の星イラスト】
16 ご両尊の婚姻



3)  オオヤマト

 イサナキとイサナミが建国した国の名前は『オオヤマト』といいます。
そうすると、イサナキとイサナミが国造りをした国の名に『ヤマト』を付けたということになります。『ヤマト』という国名の発祥は、イサナキとイサナミの時代だったのですね。

 後の奈良の『大和』との違いは、『ヤマト』の前に『オオ』が付いている点です。
でも、『オオ』の漢字は『大』ではありません。何故なら、イサナキとイサナミが国造りをした時代の領土は西日本の一部だけで、後の大和朝廷の領土の方がずっと広大ですので、 『大』の文字を用いるのは適切ではないからです。

 これは、単なる憶測にしか過ぎないのですが、『オオ』は『大陸(たいりく)の大』ですので、もしかしたら、『オオヤマト』と『邪馬台国(やまたいこく)』は、何か共通するところがあるのかもしれませんね。

 また、大分県中津市に、耶馬渓という名の渓谷(青の洞門)がありますが、耶馬渓は日高見候補の一つの日田市や英彦山のすぐ近くにあります。

17 耶馬渓


XXXXXXXXXXXX


 国産みの場面は退屈なところですので、今回は、退屈な神話チックにはせずに、現代風にアレンジしました。



今回はこれまでとします。次回は、イサナキとイサナミの国造りの話をします。
段々と、『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』のブログが終りに近づいてきました。頑張りますので、もう少しだけ、お付き合いください。



小説『邪馬台国ラプソディ』著者
川鍋 光慶
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