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XXV 国産み

  『邪馬台国ラプソディ』のブログは25話となり、銀婚式を迎えました。
今回は、ホツマツタヱ風に、イサナキとイサナミの国産みの話をします。天神6代のオモタルの築いた領土を、ご両尊は更に拡大していきました。

1 騙し絵


 これは、何の絵でしょうか?
解答は、後ろの方に記載しています。


1、  イサナキの年齢

  前回の24話では、イサナキとイサナミが仲人の取り持つ縁で、マイホームを建て、婚姻し、天神7代に就任するところまでの話をしました。
その後の新婚生活に関しては、『邪馬台国ラプソディ〈第一巻〉』をご覧下さい。
 今回の25話は、二人の努力が実って、初娘のヒルコ(ワカヒルメ)姫が誕生するところから始めます。

1)  ヒルコ(ワカヒルメ)姫の誕生

 ホツマツタヱには、このように書かれています。

**********

ナシテコオ ハラミテウメル
ナハヒルコ シカレドチチハ
スズヨソホ ハハハミソヒホ

**********


  この文章を意訳してみます。

 イサナミは子を儲けました。孕んで産んだ女の子の名はヒルコ姫といいます。
しかし、ヒルコ姫が生まれた時、イサナキの年は40歳で、イサナミの年は31歳でしたので、2年経つと、ご両尊は大厄(数えで男:42歳、女:33歳)を迎えます。
 親の厄年に、子供が病気や発達障害、死去等の隈(くま)を抱えていると、男の子の場合には母親に、女の子の場合には父親に、大変な災難が降りかかると言われていました。
 ヒルコ姫は発育不全だったので、イサナキの前厄の前に里子に出され、後厄の後で、御両尊の元に戻りました。




2)  二倍年歴

  前回のブログでは、ヒルコ姫が誕生した時の、イサナキの年齢は40歳で、イサナミが31歳だったので、両親とも年寄りだったと書きました。
しかし、自分が書いたことではありますが、正直を申せば、この記述は間違いではありませんが、適切な表現とは言えません。

2 ジジババ


  娘盛りを過ぎた女性を『年増(としま)』と呼びますが、江戸時代では、20歳前後を『年増』、20歳を過ぎてから28、9歳ぐらいまでを『中年増』、それより上を『大年増』と言いました。
江戸城の大奥では、『御褥御免(おしとねごめん)』の仕来りがあり、30歳以上の女性は、御台所(正妻)であっても、夜の営みから遠ざからねばならなかったとのことです。
 現在の常識からすると、理解し難いことですが、高年齢出産対応の医療制度が貧弱だったための措置だそうです。

 話は代わりますが、縄文時代の平均寿命は14.6歳、弥生時代の平均寿命は30歳でした。
縄文時代の平均寿命が短いのは、乳幼児の死亡率が高かったからですが、過酷な乳幼児を生き延び15歳以上生きた男女の平均余命(15歳以降生きていた年数)でも、男性16.1歳、女性16.3年歳で、最高で31歳ぐらいの寿命だったといわれています

3 縄文人


  このことより、イサナキの年齢の40歳や、イサナミの31歳は、縄文時代では有り得ない年齢で、弥生時代でも、かなり老いた老人だったと言えます。


 しかし、太古の世界では、二倍年歴を使用していました。
春から秋までを1年・秋から春まで又1年とする暦です。つまり、春から春までを2年と数えるのが『二倍年暦』です。
 
  『魏略』いう書籍に、二倍面歴について書かれています。

魏略曰「其俗不知正歳四節 但計 春耕秋収為年紀(年。年数。年代。年齢)」

 孔子(紀元前552~ 479年)の『論語』とか、『管子』、『列氏』、『莊子』では、年齢は二倍年歴を用いていました。調べてみると、ローマやエジプト、そしてアイヌ人も、二倍年歴を用いていたようです

【孔子】
4 孔子


 この件に関して、ご興味が御座いましたら、古賀達也氏の『新・古典批判』『続・二倍年歴の世界』をご覧下さい。

二倍年歴

 古事記に書かれた古代の天皇の寿命が長いのは、二倍年歴を採用しているからだと考えられます。
しかし、日本書紀は初めに神武天皇の東征を紀元前660年に設定し、辻褄を合わせるために、歴代天皇の寿命を意図的に調整(改竄)したものです。従って、日本書紀に書かれた年代を信用することはできません


 ここで、話をもとに戻します。

  もし、ホツマツタヱに二倍年歴が採用されていたとすると、イサナキの年齢は20歳や、イサナミの年齢は15歳だったことになります。

 でも、ホツマツタヱでは、10歳(二倍年歴では5歳)をこえると、結婚適齢期だったので、イサナミの年の15歳は人生の折り返し地点となり、今でいうとアラフォーのような感覚ではなかったかと思われます。



3) 神漏岐

  纏めますが、ヒルコ姫が生まれた時のイサナキの年齢は20歳で、イサナミの年齢は15歳でした。今ならば、若すぎる結婚で法律違反ですが、当時の常識では遅すぎる結婚でした。
イサナキのはじめての結婚は10歳前後だったと思われますので、イサナミと結婚するときには、イサナキに子供がいて当たり前です。

 多分、イサナキの初めの奥様の名前は、神漏美(かむろみ)命だと思います。
神社で唱える『大祝詞』の初めに、『 神漏岐(かみろぎ)』という名の神が登場し、天孫(ニニキネ)に天孫降臨するよう命令を下します。

  そのカミロキ(神漏岐)は、ホツマツタヱのなかでは、イサナキの幼名です。
熊本県に、『幣立(へいたて)神宮』という、とても由緒のある神宮がありますが、ここの御祭神は、神漏岐命と神漏美命です。
 つまり、御祭神は、まだ少年だった 神漏岐(イサナキ)と、その連れ合いの神漏美命ということになります。

5 幣立神宮


 ここの宮司さんは、春木 伸哉(はるき しんや)氏と申されますが、ギリシャ神話にも造詣が深く、国際的な視野の持ち主です。春木市は、日本神話は弥生時代の真実の歴史だと仰っていました。
また、日本の教科書から、神武天皇の東征の下りが無くなってしまったことを、とても憂いておられました。

6 春木氏

 宮司になる前は教師だったそうで、とても良識的な物知りの方です。
有益な情報を、沢山、ご教授頂き、凄く参考になりました。
 また、いつの日か、お邪魔して、色々なことを伺いたいと願っています。




4)  日本人の素顔

 縄文時代から弥生時代に移行すると、平均寿命が大幅に伸びました。この理由は、華南(江蘇省・浙江省)から渡来人が日本に移住し、水稲栽培の技術や薬学の知識をもたらしたことだと考えられます。弥生人は、縄文人と混血することで、生き延びていきました。


 ところで、下の日本人の顔の進化のCGシミュレーション画像は、東京大学工学部原島研究室が作ったものですが、縄文人と弥生人の顔がまざって現代人の顔に進化していく様子がよくわかります。

【縄文人と弥生人の混血化】
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/5/6/564a03ef.jpg

7 縄文弥生未来人


 未来人の顔はまるでバルタン星人みたいです。宇宙を目指すと、逆三角形の顔立ちになるようです。

8 バルタン星人


 そして、縄文人や、渡来系弥生人は、現在でも似た顔立ちの方がおられますよね。両方共、我々日本人の祖先であることが、よく分かります。

9 縄文弥生顔


CG画面の方の縄文人は、小澤征爾さんの息子で俳優の小澤征悦さんみたいで、温かみのある顔ですよね。




2、  日本の文字

1)  アワ歌

 ホツマツタヱの文章にいきなり入る前に、ホツマツタヱを知る人の間では常識となっている『アワ歌』に関して、解説をします。

【アワ歌 : 瑠璃の星イラスト】
10 イサナキイサナミ旅行


 『アワ歌』は旋律が綺麗なので、古代の調べが耳に快いのですが、それに満足してしまったら、歴史的な価値が色褪せてしまいます。
何故かというと、『アワ歌』とは、『あいうえを』『アイウエオ』の起源だからです。



2)  カタカナとひらがなの誕生

  『日本文化研究ブログ Japan Culture Lab』の『漢字、ひらがな、カタカナの歴史や起源とは?ひらがな、カタカナの由来と成り立ち』の文章を引用します。

【吉備真備(きびのまきび・西暦795~775年)がカタカナを造り、空海(くうかい・西暦774~835年)がひらがなを作り出したという伝承がありますが、これは俗説に過ぎません。

 ひらがなもカタカナも、平安時代(西暦794~1185年頃)初期に作られたと考えられています。
万葉仮名が由来となり、ひらがなは漢字を簡略化したものから作られ、カタカナは漢字の一部をとって作られたと言われています。
ひらがなは主に女性が使い、カタカナは主に男性が使用していたようです。】

 古事記や日本書紀に描かれた事柄は、弥生時代や古墳時代の話ですので、アワ歌が信用できるものだとしたら、カタカナができる半世紀以上前に、『アイウエオ』の原型があったことになります。

これは、特質すべき事柄で、朝鮮では、李氏朝鮮第4代王の世宗が訓民正音の名でハングルを頒布したのは、1446年です。つまり、朝鮮が母国の文字を持つようになったのは、カタカナの発明の半世紀以上後のことで、ワカ歌の1世紀後の話です。



3)  ワカ歌の正体

 次に、何故、ワカ歌が『アイウエオ』と同じなのかを説明します。
ワカ歌は五七調で、48文字あります。48文字はカタカナやひらがなと一緒です。

 この五七調を崩して、同色同士の五文字ずつに分けてくると、以下の表のように、『アイウエオ、カキクケコ、・・・・』が浮かび上がってきます。
(但し、タチツテト以降は、後ろから前に読んでいきます)

 大昔に、このようなアイウエオの下地があったので、カタカナが成立したのが早かったのだと思います。素晴らしい文化遺産です。

11 アワ歌




3、  イサナキとイサナミの旅路

1)  ホツマツタヱの国産み

 国の首都が定まり、王宮を建てると、ヒルコ姫をカナサキ(住吉大神)に預けた後に、イサナキとイサナミは、国造りの行脚の旅にでます。

 ホツマツタヱの『国産み』は、『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』から始まります。
しかし、この文章の意味がさっぱりわかりません。


 そこで、他の方々の訳を見てみますと、
『天(ア)と地(ワ)を胞衣(えな)として国の再建に励みました』

『二尊は心を通わせ、君と民とを国造りの基にしました』

『和して和を胞衣とす【陽陰の二尊が一つとなって(夫婦一対の国君となり地上の日月となって世を恵むことをいう)、民を調え直して(和して)、国に和の道を敷いて、アワ歌に成るアワ国を基盤とする】』
と書かれていました。

 愚鈍な私にはチンプンカンプンで、目の前が真っ暗になってしまいました。


先人の方々が、こんな難解な文を訳そうと努力されたことには、敬意を表します。
こうした先人の労苦があるので、私達は、自分たち独自の割り切った発想をすることができるのです。



 そこで、ホツマツタヱを繋ぐ後継者の方々の為に、私の大それた推測をしてみます。恐らく誤った解釈だとは思いますので、間違えている部分を訂正し、私の屍を乗り越えて前に進んで頂ければと存じます。



 それでは、ホツマツタヱに戻りましょう。

 上述の『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』の文章は、ホツマツタヱの『3綾 一姫・三皇子を産む殿の綾』に書かれている文章です。

 この文章の前の場面は、子供を授かろうとして、イサナミは柱を左回りし、イサナキは柱を右回りし、二人がぶつかりそうになった時、イサナミからイサナキに声を懸けました。
そして、イサナミはヒヨルコを孕むのですが、流産してしまったので、葦船に乗せて流しました。

13 柱回り


 「丈夫な男の子を産むのには、どうしたら良いか?」と、豊受大神(イサナミの父)に尋ねると、豊受大神の回答は、
「言挙げ(神に丈夫な男子の出産を祈る言葉)は、女は先に声を立てないものです。
世継ぎを産もうとする時は、例えば、雌(めす)の鶺鴒(せきれい)が先に尾を揺らして鳴くと、雄(おす)は鳴き去ってしまいます。
しかし、オスが尾を揺らして鳴くときは、雌は様子を悟って交わります。
これは天の神が鳥に教えさせた世継ぎを産むための則なのです」
でした。

 つまり、『子作りの為に、寝床に誘うとき、女の方から誘惑すると、女の子か未熟児を孕んでしまい、男から誘惑すると、嫡男に恵まれる』という教え(迷信)です。

 そこで、今度はイサナキが柱を左回り(時計回り)をし、イサナミが柱を右回り(反時計回り)をしました。

14 左回り 右回り



 そして、二人が顔を見合わせた時、イサナキからイサナミに『アワ歌』で、ラブコールを送りました。それを、イサナミが『アワ歌』で受諾しました
 この文章が、『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』の前に挿入されており、『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』の後には、イサナキとイサナミが国造りをした場所の一覧が書かれています。
 これが、ホツマツタヱの中の国産みの場面です。


12 国造りの旅




2)  木を見て森を見ず

 私には、ホツマツタヱの『国産み』の場面の解釈手法が、『木を見て森を見ず』になっているように思います
ところで、『木を見て森を見ず』という格言がありますが、その意味をご存知でしょうか?

ご存知ない方は、その答えを体感して頂きますので、お付き合い下さい。

 『だまし絵』の例をとります。
『がらくたクリップ』というブログの『この「だまし絵」がスゴい!木を見ず森を見よう』をご覧頂ければ、『木を見て森を見ず』の意味が分かります。
だまし絵

 さて、問題です。
このブログの冒頭のイラストの問題ですが、下の図には何が描かれているのでしょうか?

15 だまし 絵2


 近くからみては、何だか分かりません。遠くから、薄目を開いて見て下さい。
ヒントは、右上の小さな二匹の蟻です。これは、蟻ではなく、両目ですよ。その近く(右)にある小さなゲンゴロウのような部分が鼻です。


 答は既にお分かりでしょうが、ミッキーマウスです。



 古文の解釈方法で一番ポピュラーなのは、一つ一つの単語を古文の辞書で、似たような単語を見つけ出し、全体の文章を鑑みて、一番フィットしそうな意味のものを選ぶ方法です。この方法は、文献考古学での正攻法であり、正道とも言われます。

 しかし、奈良時代や平安時代の古語辞典はあっても、半世紀前のホツマツタヱの時代(弥生時代や古墳時代)の古語辞典は存在しないので、『ヤワシテ』を解読しようと思っても、難しいと思います。

 こうした『木を見る』ことも大切ですが、それだけでは、解答を得ることが出来そうにない場合には、『森を見る』アプローチも必要ではないかと思います。
『木を見て森を見ず』や『群盲象を撫でる』方法から、上のだまし絵の解読法のやり方に変えてみようと思います。つまり、『森を見てから、木も見る』やり方を採用します。



3)  豊受大神のジェンダー・ハラスメント

 それでは、『国産み』に関して、豊受大神がイサナキとイサナミに与えたサジェスチョンを詳細に記述してみます。


『陰である女性が始めに歌を詠み誘惑すると、陽である男性は萎えてしまい、逃げて行くので、良い結果が得られません。男性がその気になり女性を誘惑した時に、女性は阿吽(あうん)の呼吸で男性の意を察して、男性の指示に従うと良い結果が得られます。
例えば、メスのセキレイが先に尾を揺らして鳴くと、オスは鳴き去ります。しかし、オスが尾を揺らして鳴くときは、メスは様子を悟って交わります。これは天の神が、鳥に教えさせた世継ぎを産むための法則なのです』


16 鶺鴒


 豊受大神からの助言を聞くと、殿堂に戻り、イサナキは中柱の左を回り、イサナミは右に回り、イサナキからイサナミにワカ歌で誘惑し、イサナミがワカ歌で受諾しました。
そして、『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』のセンテンスが入り、その後に、『国産み』の国名が列記されるという構図の文章
です。

 つまり、ここの部分の文章は、子作りの話ではなく、国産みの話だったのです。
すると、豊受大神の助言の意図は、『国造りをしようとする時は、イサナキが率先して方針を決めて指示を出し、イサナミはイサナキの意向をくみ取り、補佐に徹しろ』ということだったようです。

18 国産み


 そのように考えると、『ヤワシテ』は、『男性(日)の顔をたてて、女性(月)は補佐役に徹しなさい』という意味だと考えられます。

 『アワオ』は『日本語を標準語として』と考えるとフィットします。日本でも、中国でも、朝鮮でも、方言が沢山あり、異なる民族の人達の会話は成立しませんでした。
そこで、ワカ歌の『アカハマナ』つまり『アイウエオ』を標準語として用い、国造りを進めたということです。

 『エナトシテ』は『胞衣として』と漢字で書きます。『胞衣』とは『胎盤や羊膜』のことですので、『子宮』を意味しますので、『環境・やり方で』ということになります。

 武力で他民族を征服するか、言葉の魔力で他民族を取り込むかの選択肢がありますが、この場合、日本語で他民族を友好的に、または血縁関係になることで、従属させようという『方針』だったことが分かります。


 つまり、『ヤワシテアワオ ヱナトシテ』の意味は、『男性(イサナキ)主導で、女性は出しゃばらず、先住民を、武力でなく日本語を標準語として説得するというやり方(胞衣)で国造りを進めた』ということだと考えられます。

 もし、上述の推測が正しいとすると、現代の基準では、豊受大神の助言はジェンダー・ハラスメント(男らしく・女らしく)や、性差別(男性を高位の職位につける)に該当します。

 こうした考え方が生まれたのは、春秋時代の頃の儒教等からで、それ以前は母系社会を前提としていました。道教(老子)までは、母系社会の影響を受けているようです。

【老子】
19 老子


日本の縄文時代は平和で戦いのない時代でしたので、母系社会だったと思われます。
つまり、豊受大神の言葉は、春秋時代以降(弥生時代)の思想に則ったものだと推定されます。



4)  元始、女性は実に太陽であった

 明治時代の女性活動家の平塚雷鳥の有名な言葉があります。
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である』

 縄文時代は、争いのない平和の国だったそうです。これは、母系社会だったからだと思われます。中国でも、三皇五帝の三皇の時代は、母系社会だったようです。

しかし、弥生時代になり、青銅の武器が日本に伝来し、戦いをするようになると、母系社会から父系社会へと変身し、男尊女卑の思想が入ってきました。
 ホツマツタヱの中でも、妾を持つことを推奨していますので、ホツマツタヱは母系社会から決別した以降の書籍だと考えられます。


 豊受大神の提言は「何かを生み出そうとか、始めようとするときには、女が口出しをしてはいけない。男の意見を良く聞いて、男を補佐するようにしなければ、物事は失敗に終わる。男は太陽に、女は月に徹せねばならない」というニュアンスのものでした。
 つまり、豊受大神・イサナキ・イサナミの時代が、母系社会から父系社会に変遷する時期だったと考えられます。丁度、卑弥呼・台与の時代に該当しそうです。

 それにしても、日本で一番偉い神様の天照大御神は女神なのに、神道には男尊女卑の考え方が根付いています
神道では死や血を穢(けがれ)とします。そのため神道では、女性は穢れているとして、神社に入れなかったり、大相撲の土俵にあがれなかったり、女性には色々な制約があります。



5)  左は偉い

 ところで何故、右や左に拘るのでしょうか?
それは、日本では、左が偉いとされているからです。例えば、左大臣のほうが右大臣よりも偉いのです。

 つまり、太陽である男性のイサナキの方が偉いので、月である女性のイサナミは、イサナキの光を反射してか弱く光る月の役目に徹しなさいということです
 どうやら、記紀もホツマツタヱも、儒教にみられる男尊女卑の思想が入り込んでいるようです。

  男が左回りで、女が右回りというのも、男尊女卑の思想が入っていると考えられ、思想としては新しいものです。


  尚、左が偉いという話に関しては、『NIKKEI STYLE 日経電子版』には、左右の並び方のマナーが書かれていますので、詳しくは、以下を御覧下さい。
座席 左右


20 左席




6)  国産み

 次に、イサナキとイサナミが産んだ国を紹介します。

ヤマトアキツス
アハチシマ
イヨ アワ フタナ
オキ ミツコ
ツクシ
キヒノコ
サト
ウシマ


 この件に関しては、次回のブログにて、わかり易く説明します。



7) 御子の誕生

 二尊はアワ歌によって治めたハラミの宮に住みました。ここで、天照大御神を産んだので、ハラミ山は大日山と名を変えました。そして皇子に『ワカヒト』という諱(いみな)を奉げました。

 その後、二尊は筑紫に御幸し、そこでお産みになった皇子をツキヨミと名付け、後々アマテルカミを補佐させようと、豊受大神の元に行かせました。

 以前、厄年の災いを受けないようにと捨てられたヒルコ姫は、今は十分に慈しみ育てワカヒル姫と名付けられました。そして、再び、宮殿に戻ってきました。

 スサ(ソサ)国で生れたスサノヲは、常に大声で叫び泣きわめき、国の民を困らせました。
イサナミ尊は、スサノヲが世の中に害を与えるのも自分の穢れのせいだと思われ、民の穢れや害を一身に受けて、民を守るために熊野宮を建てました。

21 スサノヲ


 イサナミ尊はこのようにしてお生みになった一姫と三皇子に御心を尽しました。
この二尊が皇子達を産んだ殿が、ハラミ山と筑波山、アワヂ、ツキスミ、熊野の五つだったのです


 国産みの地と御子の誕生地が、イサナキとイサナミが国土開発をした場所です。
この詳細な話は次回のブログで紹介します。



『邪馬台国ラプソディ』著者
川鍋 光慶

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