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Ⅲ 神代文字は存在したか?

 ホツマツタヱに使われているのは、神代文字(古代日本文字)のヲシテ文字です。そこで、今回は、神代文字に関して話します。

若日孁

先ずは、文字の歴史です。私は、ひねくれ者ですので、歴史の教科書とは異なる切り口で、話を進めます。それでは、質疑応答形式で行きますよ。


質問1.世界で一番古いとされている文字は、どのような文字ですか?
解答1.メソポタミヤ文明で、シュメール人が、紀元前4500年位に使っていた楔(くさび)文字といわれています。
楔文字
シュメール人は、大きな目玉の像を崇拝していました。
シュメールの眼
シュメールの目達

質問2.シュメール人の出土物に似ているものが出土した中国の古代遺跡はどこですか?
解答2.四川省成都の北の広漢市の三星堆遺跡(紀元前2740~850年)です。
楔文字
上の表のように、三星堆王朝は、三皇五帝や下エジプトと同世代に存在しました。
三星堆遺跡の出土品の特徴は、青銅製の像の目が、シュメール人の出土物より大きいことです。新石器時代の遺物ですが、デザインは斬新的かつ前衛的です。
黄金の仮面
出目の仮面
高身長

 そして、三星堆遺跡では沢山の古代文字が発見されています。シュメール人の楔文字ではありませんが、サングラスのような目の左側に可愛らしい古文字が書かれています。これは、亀甲文字や漢字ができるずっと前の時代の話ですよ。
三星堆の文字
それでは、三星堆遺跡に伝わる興味深い話をします。西王母の国が「山海経」の解読から、「三星堆遺跡」ではないかと言うのです。
中国には「西王母伝説」というのがあります。はるか昔、西方に極楽の地があり、不老不死の薬を管理する女王(女神)がいたという話です。「山海経」にも記述されている「西王母」という女神さまは、実は三星堆遺物からそれを思わせる青銅の女性人物像「1号坑出土・跪座人物像と虎型台座」が発見されています。(ちょっと怖い顔だけど、これが、当時の崇高な美人像です)
西王母

かの有名な秦の始皇帝が行った「焚書」によって、中国ではそれ以前の文献はほとんどなくなってしまいましたが、幸いなことに、お墓の中に埋まっていた木簡の1部が発見されて、その中で西周王朝五代目「穆王」(BC1001~946年)が西王母を訪問した旅行記が見つかました。年代から考えると、三星堆第Ⅱ期3人目の王様「魚鳧王」末期に支配していた女王時代のことではないかといわれています。

その後、帝禹が興した夏王朝の二里頭遺跡(紀元前1800~1500年)や偃師商城では、青銅器工房、宮殿、城壁は発見されましたが、文字資料は出土していません

そして、下の写真は、夏王朝の次王朝である商(殷)時代の殷墟遺跡で多数出土した亀甲(甲骨)文字です。時代が下るにつけ、段々と、文字の形状が漢字に近づいていきます。
甲骨文字1
甲骨文字2
実は一番古い中国の文字は、浙江省平湖市の庄橋墳遺(紀元前3000年くらい)で発見されたものです。出現の1000年前の遺跡でしたが、三星堆遺跡の小文字と比較すると、単純な文字」でした。
庄橋墳遺
日本人は、漢字から、ひらがなやカタカナを作ったとされますが、漢字が成立するより前に、亀甲文字等の古文字があったのです。メソポタミア、古代中国を含め世界各地に、漢字よりも先にできた古文字が実在しました。これは、漢字の下地がなくても、古文字は意外と簡単に制定できたからです。特に、母音と子音からなる表音文字は作るのが難しくはありませんでした。


質問3.漢字の伝来前に、日本には文字がなかったと、考古学会が断定していますが、神代文字は本当になかったのですか?
解答3.神代文字は存在しました。阿比留草(あひるくび)文字は殷時代の文字です。
アヒル草文字
阿比留草文字という名の、各地の神社において神璽や守符、奉納文などに用いられている神代文字があります。これは、商(殷)時代の甲骨文字の草書体から変化した文字で、甲骨文字と阿比留草文字の対比表があります
 神代文字は伊勢神宮に奉納され、今に至るまで、伊勢神宮に大事に保管されています。奉納者としては、藤原鎌足や稗田阿礼、和気清麻呂、菅原道真、平将門、源義経、木曽義仲、後醍醐天皇といった歴史上名高い人物で占められています。また「古事記」をまとめた太安麻呂や「日本書紀」の編集者・舎人親王なども名を連ねています。
稗田阿礼
稗田阿礼

菅原道真
菅原道真

 また、高皇産霊家の山岳信仰の山の英彦山には、英彦山神宮の元宮の高住神社がありますが、ここには、阿比留草(あひるくび)文字の版木が残されています。瑠璃さん達と住吉神社を訪れた旅行記がありますので、ご参照下さい。
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1982.html
アヒル文字額
アヒル文字版木
それにしても、高住神社は写真の光の中に影が映ります。(像の写真の右の上部の光の中に、女性の立ち姿が映っています。下の写真の光の中にも、顔が映っていますね)
修験者
磐座の堂
 どうですか?これでも、神代文字は無かったと、言い切ることが出来るのでしょうか?
神代文字否定説は、他にも幾つかの根拠を出していますが、公平な判断ではないことを、全部説明できますよ。


質問4.ヲシテ文字の長所は何ですか?
解答4.一つ一つの発音に意味があり、言霊を発することができることと、ヲシテ文字で綴られた『ホツマツタヱ』古代の百科事典(真実の歴史書)でもあることです。
ヲシテ文字

 私の見解ですが、神代文字の中で、アヒルクビ文字は甲骨文字の変形で、倭人、安曇(越人)、徐福等の渡来人が齎したものです。各有力諸侯が、自家の文書制作する際に、甲骨文字を使用したり、自一族の為に作った文字を使っていたと考えられます。
ヲシテ文字は、大物主家(三輪家)が皇紀用に作った書体だと考えています。神武天皇の東征により、勝者の大物主家が国史を編纂するために使用した書体だと推定できます。
 恐らく、物部氏が蘇我氏に滅ぼされた時、仏教を伝来させ、漢字を国字としたのでしょう。そして、その際に、神教と神代文字を闇に葬ったのだと考えられます。
 結論としては、神代文字は胸を張って実在したと言えることです。


邪馬台国ラプソディ著者
川鍋 光慶




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